新型コロナウイルス生活記録文集『新しい普通を生きる』

昨年度に引き続き、「エスノグラフィを書く」という授業で学生たちに書いてもらったオートエスノグラフィを文集にしました。ご興味のある方はご覧いただけますと幸いです。(公開にあたっては受講生たちに承諾を得ています)

https://r.binb.jp/epm/e1_200919_20082021164427

「はじめに」でいろいろと書きましたので、こちらにも載せます。

 新型コロナウイルスの感染拡大が収束しないばかりか、拡大のスピードはさらに増しつつある。昨年の今頃は第二波の最中であったが、今となっては遠い昔のようである。きっと来年の今頃になれば、一年前のことなどほとんど忘れてしまうのだろう。
 だからこそ、いまここで私たちが見聞きし感じていることを記録として残す価値は増しているように思う。どのような形であれ、記録として残しておけば、自分がたしかに生きていた証になる。
 本文集は大阪大学の一年生向けの授業である「学問への扉」の一つとして開講された「エスノグラフィを書く」の報告でもある。本講義は昨年度に引き続いて開講され、今年度も一七名の学生が受講してくれた。学部もバラバラ出身地もバラバラの一七名が一人ひとりの経験を自分の言葉にしている。
 昨年度もこのような形で文集を作ったのだが、昨年度のものと比較するといくつかの違いが見えてくる。その中でも特に私が興味深いと思ったのが、本年度の学生たちは新型コロナウイルス感染対策社会を「当たり前のもの」として捉えている点である。例えば、緊急事態宣言が出て授業がすべてオンラインに移行しても、そうなることは最初から織り込み済みであったかのように適応するのである。この適応能力の高さには、いまだにオンライン授業に慣れることのない私からしたら羨ましい限りであった。
 しかし、裏を返せば、今年の学生はコロナ禍ではない学生生活を上手くイメージできていないようでもあった。いわば、学生生活とは普通はこういうものだという想像が上手くできずにいるように思われた。学生の手記の中に「当たり前」とか「普通」という言葉が出てくるが、その言葉の意味するものが、少しずつ「コロナ禍での生活」になってきているように感じた。彼らにとっての「普通の生活」は、すでに「コロナと共生する生活」とイコールになりつつある。
 とはいえ、もちろんすべての学生がこのような感覚を持っているわけではない。一七人の手記には一七人の体験があり言葉がある。それらは一人ひとりに特有のかけがえのないものである。その一つ一つを漏らすことなく記録した本文集がいつかの誰かの目に留まればいいなと思う。

大阪大学大学院人間科学研究科 宮前良平

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