想起という特殊な知覚

森直久著『想起 過去に接近する方法』東京大学出版会 2022年

http://www.utp.or.jp/book/b606381.html

想起は脳内に貯蓄された記憶情報の検索ではない。まずはこのことを認めよう。コツは目の前のモノをつぶさに観察することである。つぶさに観察するというのは、自己の内面に目を向けずひたすら外界への知覚に専念するということである。

いま私の目の前にはテーブルの上におかれたグラスがある。中には冷たい麦茶が半分ほど入っている。これを見るとき、私は端的にそれを見ている。つまり、目の前にコップがあるなと認知して、その認知に従う形で知覚しているのではない。私たちがこういった場合に通常考えてしまうような、「物体→認知→知覚」というモデルは回りくどい。認知という脳内のブラックボックスを想定する必要はない。私たちが物体を知覚するとき、端的にそれを知覚しているのである。

こういう疑問が湧くかもしれない。眼の前のコップは「飲み物の容器としてのコップである」という判断はどのようにして生まれるのか。これこそ認知のはたらきではないかと。この点に関しては、アフォーダンスという優れた考え方があるのだが、ここでは詳述しない。

さて、目の前のコップの知覚に話を戻そう。この知覚論にもう一捻り加えてみよう。眼の前のコップはいま冷たい麦茶が半分ほど入っていると先ほど言った。しかし、たとえば、パソコン作業に熱中していて麦茶をすでにいくらか飲んでしまったことを忘れ、よく見ずにコップに手を伸ばしたとき、そのコップの軽さに驚くようなことはないだろうか。このとき、眼の前の麦茶が半分しか入っていないコップと、麦茶が並々入っているはずのコップが重ね合わされていると考えることができるだろう。この重ね合わせの状態が重要である。なぜならば、この重ね合わせこそが想起だからである。

本書において想起は、心理学者エドワード・リードの概念を用いて「自己の二重化」と表現される。より正確には、自己とは内面に記憶を有する存在ではないことを強調するために「環境/身体の二重化」という。二重化とは、環境/身体の重ね合わせのことである。半分麦茶のコップと並々麦茶のコップという環境が重ね合わされ、半分麦茶のコップを手に取る身体と並々麦茶のコップを手に取る身体が重ね合わされる。半分麦茶のコップを手にしたとき、私たちは「あれ、並々麦茶が入っていたはずなのになあ」と私たちは知覚する。これがまさに想起である。このように、二重化、あるいは重なり合いの知覚が想起である。

重なり合うということが知覚されるということはそこにズレがあるということでもある。私がよく見るテレビ番組の一つに「テレビ千鳥」がある。テレ朝の伝説的プロデューサー加持Pが千鳥の二人をフィーチャーして作ったゆるめの番組である。番組はたいていそれほど山場がなさそうなお題で街ブラロケをする(失礼!)。12月1日放送分の内容は、麻布十番のレストランを巡って要らなくなった食材を集め、それらを煮込みスープをつくるというものだった。Tverだと13分55秒からのシーンなのだが、麻布十番を歩いていくと大悟が「おっここ師匠のガールズバーや」と口にする。師匠、つまり志村けんさんとよく行ったガールズバーに近寄る。そしてガラス張りの店内を覗き込み、カウンター席の奥の方を指さしながら言う。

「いっつもあの一番奥、一番奥に師匠が座って、その手前にワシが座って飲んでた」

このとき大悟にはガールズバーで一緒に飲んでいたころの志村さんの姿と、彼のいない昼間のガールズバーの空いたカウンター席が重ね合わされて知覚されている。

その後大悟は志村さんとよく行っていた鉄板焼き屋さんを訪ねる(15分30秒頃~)。約2年ぶりの訪問とのことだ。ここから大悟の想起が溢れ出す。

「めちゃくちゃここで降りてた。タクシーで」「わしいっつもここやった。この個室やったなあ。なつかしい。でこの公園いっつも見ててん、ここから」「師匠と来たときは師匠がこっちでわしがそこ座ってたなあ」

思い出の個室で一服し、大悟は師匠のキープしたボトルを思い出す。ボトルを発見すると、ちょっとだけ飲むことにする。芋焼酎伊七郎をロックで飲む。その瞬間、とめどなく想起が押し寄せる。あのころと同じお店同じ部屋で同じ焼酎を飲む。変わったのは「師匠」がいないことだけだ。師匠の存在の有無が環境そして身体にズレを生み出す。そのズレによって、大悟は「師匠」を想起する。

本書内でなされている想起の定義の一つを引用しよう。想起とは「かつて身をおいた環境と接触した(行為した)身体が、今ここで想起している身体と同じ身体であることが発見されていく活動」(p.15)である。志村さんとお酒を飲み交わした身体が、まさに今ここでの身体と同じであることが発見されるとき想起が生じるのである。

環境/身体が二重化し、ズレが生じたとき、わたしたちは想起する。あるいは過去を知覚すると表現してもいいだろう。このとき、一旦立ち止まって脳内で過去の記憶を検索して・・・という機構を想定する必要はない。眼の前にいまはもうない過去が端的に知覚されるのである。

このような想起論はきわめて刺激的である。常識からかけ離れているようでありながら非常に正確に現実を説明しているように思われる。深めるべきテーマであると考えるので、今後、私が考えたいいくつかの論点を書いておきたい。ひとつはロラン・バルトの写真論、とくに私の言葉で言えば〈不在〉の写真(宮前, 2019)との関係である。〈不在〉の写真とは、そこに写っているはずのものが写っていない写真のことである。写っているはずのものが写っていないがゆえに、かえって写っているはずのものが強く知覚される。宮前(2019)では、志津川駅跡の写真を題材にしたが、そこには過去の志津川駅と、志津川駅の不在が重ね合わされて知覚されている。ロラン・バルトであれば、不在の写真には何らかの痕跡が残されていてそれこそがプンクトゥムを呼び起こすのがと言うのかもしれないが、私はむしろ不在であること=過去と現在のズレに注目したい。

もう一つは語りの伝承についてである。このような想起論では、目に見えない語りを受け継ぐということをどのように考えたらいいのだろうか。本書の読書会の際に著者の森先生が「語るということはその語りが含んだ新たな環境を作ることだ」という旨のことをビーバーのダムづくりに喩えていたのが印象的だ。語るということは意味の伝達ではなく、環境の構築なのである。そしてその環境と相即的に身体も構成される。「語り直し」は語りによる自己=身体/環境の再構築なのである。であるならば、語りの伝承とは、そのような語りが行われる環境/身体の伝承なのではないだろうか。パラフレーズするならば、その語る人と出会ったという経験を伝承することなのではないだろうか。拙著でも書いたが、「記憶の重み」論との関係も見いだせそうだ。

さらに、これは若干飛躍するのだが、当事者論との接続も考えてみたいトピックである。当事者を定義するのは難しい。しかし、上記の議論をふまえれば、当事者とは特定の環境と自己の重ね合わせが可能な身体ということができるのではないだろうか。たとえば災害の当事者というとき、その災害という環境と自己がズレることなく重ね合わすことができる身体のことを指している気がする。

こういったことを考えるにはリードはもとよりギブソンを読む必要がありそうだ。また平井靖史先生からはベルグソンとの類似が指摘された(『世界は時間でできている』読まねば!)。いろいろ勉強することが増えてうれしい。

宮前良平. (2019). 〈不在〉の写真を見る/撮る. 災害と共生, 3(1), 25–38.

ロラン・バルトについての簡単なメモ

『ロラン・バルト -言語を愛し恐れつづけた批評家』(石川美子著, 2015)を読んだ。私自身、論文中にロラン・バルトの議論を用いたことがあり、彼の論考を読みはしたものの、彼の思想遍歴についてきちんと理解していなかった。本書は200ページあまりの比較的短い本でありながら、ロラン・バルトの思想のエッセンスに触れることができる良書であった。ここでは、私が特に重要と思った点を備忘録的にメモする。

意味の複数性から意味の潜在性へ(意味の中断)

ロラン・バルトは何よりも、あるモノの意味が一意に定められることに大いなる忌避を抱いていたようである。なぜならそこには専制的権威的で抑圧的な権力作用が働きうるからである。したがって彼は、意味の複数性を重視する。それはたとえば、一つの小説に多数の読み方があるように、意味を自由で開かれたものとする。ロラン・バルトの最も有名なテーゼの一つに「作者の死」がある。この概念もいわば、作者が狙ったもの以外の自由な読み方を許容しようというような意味合いで捉えても良いのだということがわかった(そもそもロラン・バルトは「作者の死」という概念をそれほど強く打ち出したわけでもないということはささやかな驚きだった。むしろ、フーコーの議論と(勝手に)並列されることで有名になってしまったようだ)。

「作者の死」というのは、卑近な例でいうと、小説の試験問題における読み取りの窮屈さを思えば理解しやすいかもしれない。たくさんあるはずの小説の読み方が、試験問題として出題された途端、ただ一つの「正答」に収束されてしまう。この窮屈さを乗り越えようとするとき、作者の意図に反する読み方もまたアリだよねという読者の自由さが必要となろう。このことがすなわち作者の死=読者の誕生であると私は理解した。

ここでのキーワードは、「意味の複数性」である。意味はつねに複数ある。それを唯ひとつに捨象してしまうことにこそ重大な過ちがあるはずである。

その後、バルトは、日本に目を向ける。そして、何度かの日本滞在を経て、俳句に着目する。俳句とは、まだ意味を帯びていない情景の描写である。ここには、さきほどの「意味の複数性」とは異なる形での、モノと意味の一対一対応への対抗がある。俳句において意味はまだ空虚である。そこにまだ意味は備わっていない。それゆえ、読み手それぞれの心象に寄り添うことができる。このようなことを「意味の潜在性」(本文中では「意味の中断」)と呼ぶこともできるだろう。

バルトはこのような俳句マインドを自らの創作にも活かそうとする。そうして彼は、断章という記述スタイルを確立する。できるだけランダムに並べられた断章は、その前後の繋がりが絶たれている。しかし、絶たれているからこそ読者はそこにあらゆるつながりを見出すことができる。それは、作者が意図していない意外なつながりもあるだろう。章ごとのつながりという、あるべきはずのものが断章形式によって剥奪されたとき、そこにはなかったはずのあらたな意味が生まれてくるのである。

喪と写真:そこにあるはずのものがそこにないこと

晩年のバルトの中心テーマは喪と写真だろう。前者は長年連れ添った最愛の母親の死に起因し、後者もまた亡き母の写真をもとに論が立てられていく。この2つのテーマはバルトにとって共通の軸があったはずである。それが「そこにあるはずのものがそこにないこと」である。

亡くなった人はこの世にいない。しかし、最愛の人であれば、まだこの世にいるかのように感ぜられる。しかし、振り返ってみてもそこにはいるはずがない。写真に写る人や物も、そこにはいない。まるでそこにいるかのような存在感があったとしても、そこにはいない。写真が示すのは、そこに写る人や物が「かつてそこにあった」ということのみである。そう考えれば、彼の写真論は、実質的に遺影論と言ってもいいのかもしれない。

そこにあるはずのものがそこにないこと。私はこのテーマの反転、すなわち、そこにいないからこそそこにあるかのように知覚される、ということを考えてみたい。いないからこそいる。これはたとえば森岡正博の脳死論で語られたような、脳死の人が生きていると死んでいるの間で揺れ動くさまに似ている。脳死の人の手の暖かさによって家族は、その人の存在を確かめることができる。しかし、もう動かないその体は、その人の不在を証明しているかのようである。被災地の写真は、まっさらな土地が移されているからこそ、そこにかつて街があったことをかえってありありと想起させる。

このような、不在であるがゆえに存在が知覚されるような状況を私は〈不在〉と呼んでいる。この概念は私なりのバルト読解から生まれたものである。

『脱病院化社会―医療の限界』(イヴァン・イリイチ著・金子嗣郎訳)

【本記事の内容をブラッシュアップして書評論文にしました。こちらからご覧いただけます。】

著者のイヴァン・イリイチ(イリッチとも)は1926年生。人間が本来行ってきたことが専門化され自律性が奪われていくダイナミズムを描いた。彼のテーマは教育・交通と変遷し、本書においては医療システムが焦点化された。

本書『脱病院化社会』(原題:医療の限界)は、医療システムの成立・発展によって人間の自律が脅かされていくありさまを描き出した。とはいえ、現代的な意味での脱病院化は脱施設化を意味することが多く、地域における医療の拡大と捉えれば、病院の偏在化とも言え、本書における脱医療の思想とは若干異なる点にも注意したい。もちろん、脱病院化と脱医療化が重なることも多い(地域ケア・コミュニティナース?)が、それらも国の施策、つまり医療予算の削減として行われている場合があり、本書でのイリイチの主張である政治的参画とは厳密には異なる。

さて、本書では医療の発展による社会病理のことを「医原病」と名付け分析している。医原病は臨床的医原病、社会的医原病、文化的医原病と段階的そして不可逆的に発展する。それぞれについて見ていこう。

①臨床的医原病:医療によって病が引き起こされるというとき、一般的にイメージされるのがこの臨床的医原病だろう。これはたとえば、診断の間違いなど医師のミスによって生じた病や、薬の副作用のことである。言い換えれば、医者や薬がいなければ生じなかっただろう病気のことである。

②社会的医原病:医療の対象が拡大し、ありとあらゆるものが医療化された段階。医学によって病気とはなにか、健康とはどういう状態かが決定され、そこから逸脱する人は社会的に承認された医療システムによって病人とされる。また、必要以上の医療が提供され、予防医療や死の医療化によって、健康なときでさえ医療が必要となる。いわば、医療「への」疎外が社会的に生じる。治療のために病院に閉じ込められ、治療のために医療に自らの身体を差し出すことが社会的に妥当となる。このような段階において「患者」はもはや社会のマジョリティとなる。

③文化的医原病:臨床的医原病は医療ケアの結果生じる病であり、社会的医原病は人間が本来的に持ち合わせているはずの、自らの健康を維持し病を治癒する技法を医療制度が奪った段階である。イリイチは、医療制度の透徹によって奪われるのは治癒の技法だけではないと主張する。イリイチは、医療が発達した文化において痛みは取り除かれなければならないものとなった(pp.103-104)と主張する。そうすると、私たちは、痛みや苦しみを取り除くばかりで上手く付き合う術が失われる。つまり、医療化によって文化的に培われた受苦の技術(苦痛を受け入れる権利)が奪われるのである。スローガン的に言えば、「私たちから苦しみ、痛みを奪うな!」というのが、ここでのイリイチの主張である。この段階に至っては、医療は病気を治すことはあれ、人を癒やすことは困難になる(p.126)。文化的医原病は、罹患している状態を感知することさえ困難ゆえ、そこから抜け出すことは至難である。一種の「世界宗教」(p.161)と化す。

イリイチにとって健康とは何か。

一般的に考えれば、健康とは痛みや苦しみを抹殺し、乗り越えた状態のことだろう。しかし、イリイチの健康概念は、痛みや苦しみとともにある状態のことである。「健康であるということは[…]喜びと苦しみの中にあって生命を感じうることを意味している」(p.100)。したがって、痛みや苦しみ抜きの健康はイリイチの考えでは有り得ない。対して医療は、健康を促進するものというよりも痛みや苦しみを取り除く。「苦悩する人間の代わりに病気が医療体系の中心におかれ」る(p.126)。そのため、イリイチが分析する医療とは、病因を測定し診断しそれを取り除くシステムのことであり、それが達成された状態を一般的な「健康」と呼ぶが、このような状態はイリイチ的には(文化的)医原病と呼ぶだろう。

したがって、イリイチの比較的単純化された議論にひきつけて言えば、(文化的)医原病から抜け出すためには痛みや苦しみを取り戻す必要がある。

イリイチが痛みや苦しみを重視するのは、「健康と病気(受苦)は人間を動物から区別する現象である」(p.100)からである。(上述の通り、苦しみも含みこんだ上での生命の喜びをイリイチは健康と呼んでいるのであり、そういう意味で言えば、受苦もまた健康の一部分であるのだから、この文章における健康と病気(受苦)は、対立概念というよりも不可分な概念として並置されていると考えたほうがよさそうだ。)痛みや苦しみは言わば人間の条件である。それゆえ、痛みや苦しみを取り除くことは人間性の収奪なのである。医原病は、医療によって新たな病気になってしまったというしっぺ返し的な逆説以上に、医療によって人間が人間であることを奪われてしまうことを問うている。

  • 痛みによって私がかたどられるという話は、幻肢痛の議論を惹起させる。例えば、『記憶する体』(伊藤, 2019)で取り上げられている、ある人は、義手をつけることで幻肢痛が無くなってしまうと「腕を忘れる」ようで寂しいと語っている(pp.141-142)。痛みによって今はもうない腕が存在している。
  • さて、イリイチは痛みによって人間は人間たらしめられると論じているわけだが、痛みの性質の中でも特に私秘性に注目している。「同じ頭痛を悩まないかぎり、誰も「私の痛み」を私が意味するようには理解しない。同じ頭痛を悩むことは、彼が他人であるのだから不可能なことである」(p.108)。痛みはその痛みが当人にとっての痛みである以上、他人に伝達できない。そういう意味で痛みは個人的なものであり孤独であり、それゆえ他者との断絶である。しかし逆説的に、イリイチはここに他者とつながる可能性を見出している。「身体的痛みを他人に伝達することは不可能であるにもかかわらず、他人の身体的痛みを知覚することは基本的に人間的なことである[…]われわれが痛みの感覚を共有するという確実性はは特別なものであって、われわれが人間性を共有するという確実性より以上のものである」(p.109)。そしてこのような感覚を培うのが文化である。「痛みは、文化によって、言葉、叫び、動作で表現される問題に形づくられ、それらは痛みが体験されるまったくの混乱した孤独の中で分かちあいたいという絶望的試みとして、しばしば認められる」(p.112)。つまり、痛みという私秘的な現象は、文化によって他者と分かち合う技法が育まれる。痛みは孤独であるが、他者とつながりあう契機を持つ。痛みを取り除いてしまうことこそが真の孤独となるのである。
  • ここで、私は、「痛みの共同体」というようなテーマを思いつく。それは佐々木さんのメールにも書かれていた言葉であり、痛みの私秘性について考えたときに思い浮かんだ、渥美先生の「共感不可能性の共感」にも通ずるテーマであるように思う。あるいは、「〈不在〉の写真を見る/撮る」という論考で書いた私の思索の連なりに位置するかもしれない。私たちはそれぞれ、原理的に言えば自分にしか分からない痛みを抱えている。その痛みは、しかしながら、イリイチにしたがえば、他者とつながる回路にもなりうる。
  • 痛みを取り戻すということに価値があるとするなら、災害にも価値があるのかもしれないとも思う。災害はないにこしたことはないのか。しかし、そんな単純な話ではない。痛みというのがネガティブなものである以上、災害があったほうがいいというふうには口が裂けても言えない。ましてや、現実に被災して苦しんでいる人がいる以上、無責任なことは言えない。それでも、痛みによって共同体ができていくという発想には、どこかポジティブな響きもあり、そのポジティブさを丹念に言葉にしていかないといけないと思う。最近、私が取り組んでいる「集合的トラウマ」の議論も参考になるかもしれない。『Everything in its Path』の中でカイ・エリクソンは、コミュニティの破壊、共同性(コミュナリティ)の喪失によって集合的なトラウマが生じると論じているわけだが、この議論をひっくり返せば、トラウマが生じている範囲に共同体があったというふうにも捉えられる。実際にエリクソンはトラウマの定義を拡大していく中で、多くの人との連帯を見出そうとしている(邦訳pp.307-309)。そしてこの連帯は、傷ついた者同士の傷の舐めあいというような型通りで陳腐なものではなく、イリイチの言う文化のような人間の尊厳を守るものであるように思う。
  • 「ないにこしたことはない」という言葉からの連想で、以前読んだ立岩真也の論考「ないにこしたことはない、か・1」を再読した。この論考の主語は障害および障害者であるので、イリイチの議論からは飛躍もあるが、参考になればと思い、読み返してみた。立岩のしゃべるようにいくつも枝分かれしていく文体に手こずりながら読んでいくと、悪名高き倫理学者ピーターシンガーの端切れのいい文章が引用されていて目に飛び込む。

動き回るためには車椅子に頼らざるをえない障害者に、奇跡の薬が突然提供されるとする。その薬は、副作用を持たず、また自分の脚を全く自由に使えるようにしてくれるものである。このような場合、障害者の内のいったい何人が、障害のある人生に比べて何ら遜色のないものであるとの理由をあげて、その薬の服用を拒否するだろうか。障害のある人たちは、可能な場合には、障害を克服し治療するための医療を受けようとしているのだが、その際に障害者自身が、障害のない人生を望むことは単なる偏見ではないのだということを示しているのである。

(Singer 1993=1999, p.54)山内・塚崎(監訳)『実践の倫理[新版]』
  • シンガーが言うには、障害はないほうがいいでしょう、だって障害者自身も「奇跡の薬」があったら飲むはずだから、そしてこのことは障害については否定するかもしれないが、障害者を否定することにはならない、ということだ。もちろん、現実に「奇跡の薬」は無いし、障害とともにある世界だけがあるのだから、こういった思考実験は意味を持たないという批判もありうるし、私もシンガーにはそういう批判を差し向けたくなる。しかし、たとえば、「最初から障害のなかった世界」があったらそれはそれでいいのかもとつい思ってしまう自分がいる。たとえばシンガーの思考実験に付き合って、逆に「痛みもなく障害を持つことができる薬」があったら健常者(であるだろうあなた)は飲むかと問うてみたらどうだろうか。飲みたくないと思う人は、「奇跡の薬」を批判する論理を持てるだろうか。
  • この議論が災害の場合とどのように接続できるのかできないのか、今の段階で明瞭なイメージがあるわけではない。「最初から災害のない世界」をイメージすることができないからだ。それはあまりにSFすぎるし、たぶん、人間と自然の関係からすべてが現在の世界とは異なる世界だからだ。だから、障害学を参照にした部分は、もしかしたら議論としては行き止まりなのかもしれない。ただ、もしかしたらどこかで活かされるかもしれないと思い、備忘録的に書いておくことにした。

イリイチにおける自律とはなにか。

イリイチにおける自律概念は少し注意して読み取ったほうがよさそうである。すでに述べたように、イリイチは市民が健康や病についての自律性を医療制度から取り戻すべきであると主張する。しかしながら、彼の主張する自律は、自らをすべてコントロール化に置くというような発想とは若干異なる。たしかにイリイチは、本書を通して、生命が他律的に管理されることへの批判を展開している。

そういう意味で言えば、医療のお任せにならないように、健康であれ病気であれ自らの身体を引き受け直し、それらを自らがコントロールすることが、本書における自律であると言えるかもしれない。しかし、この理解水準ではイリイチの深みを引き出せないように思う。ここで注目したいのが38頁から39頁にかけて述べられた「苦悩、悲しみ、治癒が患者の外側のものにな」るというフレーズである。同様の記述は以下にも見られる。「それ(文化的医原病【筆者注】)は個人が現実に直面し、自己の価値を表現し、避けがたくもしばしば癒やしえない痛み、損傷、老衰、死を受け入れる能力を駄目にしてしまうのである」(p.99)。

これら苦悩や悲しみ、痛みは、私たちにとって避けがたくどうにもならないものである。しかしながら、このようなどうしようのないものが不意に襲ってくるかもしれないという他者性を引き受けることこそがイリイチの言う自律なのではないだろうかと思う。

  • ここで再び立岩真也の議論を思い出す。彼の主著である『私的所有論』の中で、自己とは誰かにとっての他者であるということによって存立しているというようなことを(私的所有論や自己決定論への論駁によって)述べている。そしてここで言う他者とは、コントロール不可能なものである。すでに述べた幻肢痛のいつ襲ってくるかわからない痛みや、障害によって思うように動かない身体、人生において突然やってくる苦しみなどである。立岩が身体について述べる際にしばしば用いる「不如意」という言葉はまさに他者性を意味している(はずである)。
  • そして、この不意に襲ってくるものとして災厄を考えることが重要だと思う。科学の進歩によって災害の発生はある程度予期予測されるようになったが、しかしながら、災厄は私たち社会にとって不如意である。だから、そのような不如意の災害を社会としてコントロールしつくしてしまうのではなく、不如意であるからこそ、自律が可能になるのではないかと思う。
  • そう考えれば、さきほどの「災害はないにこしたことはないのか」という問いにも少しは答えられそうだ。災害があることによって、その不確定性・不確実性・偶有性を受け入れることで社会は自律していくのかもしれない。受け入れるという技法の中に「痛みの共同体」のようなものも含まれるように思う。

大山顕『新写真論』

SNS時代の写真論について書かれたものである。著者は、『工場萌え』などでおなじみ、写真家の大山顕さん。ときおり、カメラの技術的進化にも触れながら、論じているのがおもしろかった。写真が人間の認知を変えたのだというような写真決定論が勇み足な箇所も見受けられたが、全体的に面白く読めた。

本書の主張の要点は、写真の変容を「撮影者×被写体×鑑賞者」の3軸から捉えてみようということである。そうは明示されていないが、そうやって読むと、いささか断片的な各章のつながりが明確になるように思う。
あえて、単純化して表にまとめると、以下のとおりである。

撮影者被写体鑑賞者
かつての写真ノーバディ(非人称的存在・幽霊)特に限定なし(家族や風景がメイン)家族等に限定
現代の写真〈私〉私・シェアされるもの不特定多数の他者・AI
写真の変容

以下、撮影者、被写体、鑑賞者の順で論をまとめていきたい。

①撮影者について

 カメラは非人称的なものだった(p.150-)。写真を見て、私たちは撮影者が誰であるかを気にしない。たとえば集合写真は、その場にもう一人写っていない人間(=撮影者)がいるということを消去することによって成り立つ。いわば、撮影者は「幽霊」という非人称的な存在であった(p.82)。同様にカメラも、その存在が明確に意識されることはない透明なメディアであった。いわば、小説における地の文的な「ゼロ人称」であった(p.164)。しかしながら、自撮りの登場によって、撮影者は対象者と同一になり、撮影者の存在が顕わになった。そして、写真をスマホで見ることによって、撮る媒体と見る媒体が同一化し、カメラの存在が可視化されるようになった。
 写真の撮影者が顕わになるということは、写真を撮るという行為が、何かを伝えることではなく、そこに自分が存在していたことを証明することに変容していった。「レストランで料理を撮ったり、旅行に出かけて風景を撮るのも、ほとんどすべての撮影は経験を確かめるための行為なのではないか」という指摘は興味深い。それはきっと、撮影された写真をSNSにアップすることで衆目に触れさせるということと地続きなのだろう。それは、SNSの批評で時に言われる「自己愛の承認」というよりも、もっと人間が生きるうえで根本にある「自己存在の承認」の集合的なバージョンなのではないだろうか。
 また、私たちはもともと俯瞰したイメージで自分を捉えることができている(抑圧身体、本書で紹介されている概念で言えば「四人称」)。しかし、近代のカメラの登場によって、FPS的な一人称視点こそが人間の視点であると思うようになった。「「見る」という行為を個人のものだと思うようになった」(p.157)わけだ。しかし、現代においては、ありとあらゆる視点からの写真が撮られ、あるいは衛星写真などの遠近法の狂ったのっぺりとした写真が増えることで、知覚は再び集合化されるようになった。それは、本書には明示されてはいないが、写真による集合的な視覚文化のひとつと言えるだろう。
 写真は歴史において長らく「父」が撮るものであったという指摘も面白い(p.191-)。そこには、父権主義が透けて見える。それに対して、現代は、写真撮影が個人化し民主化された時代であるとも言えるだろう。一家に一台から一人一台へというカメラの普及は、技術的な進歩以上に、社会的な変化を誘発しているというのは言い過ぎだろうか

②被写体について

 被写体の変容について重要なことの第一は、自撮りによる私の撮影である。それはすでに述べた通りである。現代の写真は、自撮りの登場によって撮影者と被写体を同一化させてしまった。
 被写体の変容について、自撮りの登場以外で重要なことは、シェアされるための被写体が好まれるようになったということである。その筆頭が猫である(p.214-)。大山が指摘している通り、「現代の写真論は、もはや猫を避けて通ることができない」(p.215)。しかし、その写真はどれも同じようなものばかりでオリジナリティが無い。しかしながら、その定番化された画像こそが、毎日のシェアをしたくなるという人間の欲求に応えているのである。また、猫は犬と比べて誰かの所有物という感じがしないからシェアに向いているのではないかという指摘も首肯できる。
 それに対して、かつての写真の被写体の題材として本書が取り上げているのが「心霊写真」である。もちろん当時(19世紀後半から第二次世界大戦まで)も、心霊写真は科学的に否定され続けてきた。それでもなお心霊写真が重宝(心霊写真専門の写真家もいた)されていた理由は「心霊写真は、一部の科学者たちを除けば、心霊の存在の証拠というよりも死者の思いをなんとかこの世に導入したいという人々の呪術的欲望の産物だったと言えるだろう」(長谷, 2004, p.78)。いわば、家族を亡くした遺族にとって「写真が証明すべきなのは家族の愛の存在であって、霊の存在ではなかった」(p.77)のである。現代は、心霊写真が撮れなくなってしまった時代、つまり、心霊写真によって故人とのつながりを維持することができなくなってしまった時代ということもできるだろう。

③鑑賞者について

 かつて写真は、家族・親戚あるいは知人が鑑賞者であった。むしろ、写真というプライベートなものを、それ以外の人が目に触れる機会は無かった。いやむしろ、SNS以前の写真は、ほとんど誰の目にも触れることは無かった。多くても数人にしかみられることは無かったのだ。そういう意味で、SNS時代の写真の大きな特徴は、鑑賞者の爆発的な増加である。先ほどの猫の話も、猫の写真自体がよくできているのではなく、それをシェアする人が多いことによって、写真の価値を決定づけている。大山が端的に述べているように「写真のありかは撮影者から閲覧者へ移行した」(p.111)のである。
 そして、もう一点、大山が現代の写真の鑑賞者として取り上げているのはGoogleなどに代表されるAIである。膨大に撮られるようになった写真の一枚一枚を私たちが見ることはもはや不可能になりつつある。その中で、AIだけがすべてを見て、アルゴリズムを用いて私たちに数枚ずつサジェストしてくれる。このとき選ばれた写真は私たちの「思い出」だろうか。「過去」だろうか。もはやそのような言葉では言い表せない状況になっている。それは、写真を撮るという行為自体が、データを保存し、アルゴリズムに従ってAIに取り出してもらうという行為を内包している。大山は、こんにちの写真を以下のように定義づけている。「こんにちの写真とは、写真それ自体のシステムのことである。写真は人間のものではなくなったのだ。こんにちの写真とは、人間のためのものではなくなった、それ自体のシステムのことである」(p.264)

 最後に、大山が述べた写真はシステムであるということの意味について考えてみたい。ここで重要なのは、かつての写真は、撮ること自体が目的であったということである。たとえば、大山は、家族写真について論考を深める際に、「写真館の本質は優秀な舞台設定サービスだった」(p.189)と述べる。そこで撮られた写真がどういうものなのかというよりも、写真館という整えられた舞台で家族写真なるものを撮るということ自体が家族写真を家族写真たらしめている。また、大山はSNS以前の写真について「ほとんど人に見られなかった」(p.225)ということが重要であると指摘している。つまり、SNS以前の写真は、見られることではなく、撮ること自体に意味があったのだ。何かのために撮るのではなく、撮るために撮るのが少し前の写真だった。

 それがいまや写真は見るためのものに変容してきていると結論づけるのは早計である。それだと、写真は大衆化されたという言わばすこし古い結論にしかならない。ここで大山が「システム」と述べたことに留意する必要がある。つまり、現代の写真は、再び、誰の目にも触れられなくなっている。それは、SNSなどでの写真の氾濫がじつはもっと膨大な人の目に触れられていない写真のごく一部にすぎないということを示している。僕たちのスマホに撮りためてある膨大な数の写真は、誰の目にも留まらない。撮ったはずの自分でさえも見返すことのない写真ばかりである。そういった写真を見るのはAIである。AIが見るために写真は撮られる。そこでの人間の役割はもはや「AIによって選別されるべき写真を撮る撮影係」でしかない。あるいは、監視社会の進展によって、ありとあらゆる世界が画像として記録されるようになれば、撮影係としての人間さえも不要になるかもしれない。このような、撮影も選別も現像もそして鑑賞さえもAIが行うようなシステム、つまりAIによるAIのための写真の生産構造こそが、大山が述べる「写真システム」である。

 かつての写真は、人間がそれを撮っているということを不問にすることで成立してきた。それは、何が写っているのかということが重要だったからである。いわば、写真の被写体主義の時代であった。しかしながら、写真が大衆化することで、何を撮ったのかではなく、誰が撮ったのかということが重要になってきた。それは、スマホに代表されるような技術進化による自撮りの登場の影響である。ここにおいて、写真の撮影者主義の時代が生まれた。そして、SNS時代においては、誰が何を撮ったのかではなく、誰がそれを見ているのかということが意識されるようになった。いいねの付きそうなテーマが重視されるようになった。これは、写真の鑑賞者主義の時代といってもいいだろう。そして、最終的には、誰も撮らず、誰も写らず、誰も見ない写真の時代がやってきつつあるだろうというのが大山の見立てである。この写真のシステム主義=人間不在主義が到来したとき、写真はいったいどのような意味を持つようになっているのだろうか。本書の読者の一人として大きな宿題をもらった。

撮影者被写体鑑賞者
被写体主義ノーバディ家族などの撮られるべきもの家族など限定された人びと
撮影者主義私(自撮り)不特定多数の他者(SNS)
鑑賞者主義ノーバディシェアされやすいもの不特定多数の他者(SNS)
システム主義人間・AIあらゆるものAI

大前粟生著『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』

コロナウイルスの影響で僕も無事にテレワークをすることになったのだが、家にいるとなんだか滅入ってきてしまう。自由であることがこんなにも不自由であったのかと思う。普段はあんまり人としゃべらなくても平気なほうの人間なのに、いざ思う存分一人でいてくださいねとなると急に心細くなる。落ち込む。

時間だけはそれなりにあるのに、仕事が全く進まない。ぼーっとしてしまったり気が散ったりしているうちに一日が終わってしまう。慣れないオンライン授業の準備をしたり、web会議に出席したりしていると、移動していないはずなのに、ずいぶん疲れがたまっていることに気づく。

こういうときは「優しい本」が読みたくなる。孤独を癒してくれるような本。イメージとしては、コンビニで売ってるような自己啓発本の真逆の本。そう思っていろいろと探してみると、ピンク色の表紙の面白そうな本を見つけた。タイトルは、『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』。まさに僕が探していたような優しい本じゃないかと思って即購入。少しずつ読み始め、ついに読了。ほんで、めちゃくちゃ面白かったです。

主人公は大学一年生の男子の七森。彼は背が低くてどこか女性っぽい顔立ちでお酒があまり強くなくて頼りない。高校のときは、男子グループだけじゃなくて女子グループにも自然と受け入れられていた。まあなんだ男子禁制の女子会になぜか呼ばれちゃう系の男子だ。

で、彼は、とてもやさしい。彼の優しさを軸に物語は進んでいく。どれだけやさしいかというと、ちょっと本文中から抜き出そう。七森がサークルの同期の白城さんに告白して、オッケーをもらえた次の日の朝、彼はこう思っていた。

威圧的でない見た目をしていても、男だ。告白してみたら、自分が相手にとって異性になってしまったって七森は気づいた。

男が女の子に恋愛的で性欲的な、しかも告白ってアクションを起こすと、相手をこわがらせたり傷つけたりしてしまうかもしれない。

七森は、自分が男性ということで、それだけで相手を怖がらせてしまっているのではないかといつも心配している。自分がマジョリティの立場にいることで知らず知らずのうちに相手を傷つけてしまっているのではないかといつも思い悩んでいる。だから、彼にとって何か言葉を発することは、それ自体で誰かを傷つける可能性を持った暴力的な行為なのだ。

小説の中には、七森のその優しさを理解しない人たちも出てくる。高校の時の同級生たちと成人式のときに再会したとき、七森は彼らのノリが気持ち悪くてついていけなくなってしまう。それは「お前童貞なの?」とか「もしかしてゲイ?」みたいな軽口なのだが、七森にとってそれはもはや暴力なのだ。

それとは対照的に、七森的な優しさをきちんと理解してくれる人たちもいる。それは大学のぬいぐるみサークルのメンバーである。この物語はぬいぐるみサークルでの交流を中心に描かれる。ぬいぐるみサークルと言っても、ぬいぐるみを集めたり、作ったりするサークルではない(捨てられたぬいぐるみを拾うことはあるらしいが)。なんと、ぬいぐるみに話しかけるサークルなのである。七森は人と話すときの自らの意図せざる暴力性に怯えている。でも、ぬいぐるみに話しかければ、誰かを傷つける心配はない。そういう優しい人たちが集まるのがぬいぐるみサークルなのだ(七森はぬいぐるみとはしゃべらないのだが)。

この物語には、もう二人、主人公格の登場人物がいる。一人は、七森と仲の良い「ぬいサー」の同期の女子学生の麦戸ちゃんで、もう一人は、七森と同様ぬいぐるみとしゃべらない「ぬいサー」メンバーの白城だ。白城も七森と同期の女子大生だ。

麦戸ちゃんは、ある日を境に大学に来なくなってしまう。麦戸ちゃんも、ある出来事がきっかけで、この世界で誰かが傷ついていることに耐えられなくなってしまう。麦戸ちゃんもやさしいのだ。例えばこんな感じ。

麦戸ちゃんは七森をしんどくさせないために微笑もうとしたけれど、話し終えると、ことばに遅れて痛みがやってきて、涙が止まらなくなった。

それに対して、やさしい七森はこう思うのだ。

僕も同じだよ。麦戸ちゃんの気持ち、わかるよ。七森はそういいたい。でもいえない。同じじゃないから。僕は男で、やっぱり、恵まれているから、

麦戸ちゃんも七森も、やさしい。自分の言葉が相手を傷つけるかもしれないということを避けてしまう。だから、ちょっとよそよそしい感じもある。お互いがお互いを気遣いすぎてしまっている。それでも物語は進んでいく。やさしさがかれらを縛り付けながら。

さて、ここで紹介した文章は、パッとページを開いて目に留まったところをランダムに載せているだけだ。これでこの小説の雰囲気が伝わってくるだろう。胸の中の悶々とした思いが、明確に言語化されていく。読んでいる自分ももどかしい。登場人物のやさしさゆえに、「それは間違ってるよ」と言うわけにもいかず、余計に苦しくなっていく。でも、やさしいがゆえに安心して読んでいける。

僕は知らなかったのだが、こういう小説のことを「フェミニズム文学」というらしい。マジョリティである主人公が自分のマジョリティ性の暴力性に悩むという話なのであれば今後も読んでみたいと思った。

宮地尚子・金井聡. (2020). 尊厳と暴力——公的領域・親密的領域・個的領域の三分法から考える. 加藤泰史 & 小島毅. (編), 尊厳と社会(下) (pp. 58–73). 法政大学出版局.

大学のメールボックスの中に極めて分厚い荷物が入っていて、辞書か何かかなと思って封を開けると、合わせて1000ページ近くある学術書だったので驚いた。書名は『尊厳と社会』というもので、どなたが送っていただいたのだろうと思ってパラパラめくると、たぶんこの先生からのご恵投だろうというあたりがついたので、勉強がてら読んでみる。結論から言うと、極めて勉強になった。

「尊厳と暴力」というタイトルの論考は、非常に明確な問題設定から始まる。曰く、尊厳を毀損するものとして暴力を捉え直してみようとのことである。なぜならば、暴力というのは、人間社会において常に当たり前に存在してきたために考察の対象から免れてきてしまっていたからである。たとえば、PTSDに苦しむ人びとは自らの症状を表現する言葉を口にすることができず(それは内的な抑圧もあるだろうし、社会的な抑圧もあるだろう)、またその支援に当たってきた著者たちもかれらの苦しみを十分に言い表す言葉が見つからないと悩む。このような、可視化されにくい暴力を、公的領域・親密的領域・個的領域の三分法という枠組みから捉え直そうというのが本稿のメインテーマである。

では、公的領域・親密的領域・個的領域とは何か。公的領域は分かりやすい。たとえば、会社であるとか学校であるとか、いわゆる「人前」の社会のことである。それにたいして、後者二つは、若干の注意が必要である。公的領域と対比されるものとして私的領域という区分があるが、本稿では、私的領域をさらに細かく区分して、親密的領域と個的領域というカテゴリーを用意する。以下定義について引用する。

親密的領域:「カップルや家など、恋愛や性愛、親愛や愛着によってつながった人間関係」(p.62)

個的領域:「自分のためだけの時間や空間を意味する」「自分があるがままでいられる場や、恐怖やストレスを癒し、活力を持って外に出かけていけるような、くつろげる休息の時間、他者からの評価や否定的視線から解放された時空間」(p.62)

このように、親密的領域と個的領域を分けてみると、DVに代表されるような暴力と、暴力によって支配されてしまうこと、そのため自らの言葉が失われてしまうことなどを極めて明快に説明することができる。以下のとおりである。

このように三分法で考えてみると、DVを「親密的領域における暴力と支配であり、それによって相手の個的領域を奪い、すべて親密的領域にしてしまうこと」ととらえなおすことができる。(p.62)

DVのような問題は、「親密的領域にひびが入っている」と早とちりしてしまいがちだが、決してそうではなく、むしろ親密的領域の全体化なのである。つまり、ここで具体的に論じられるようになるDVとは、家庭内で単に暴力をふるって相手を傷つけるということではなく、暴力によって相手の個的領域を簒奪し親密的領域において支配する行為のことであると理解できる。この理解は極めて重要である。なぜなら、この理解によって、加害者の支配行動に潜む二重の構造—暴力と暴力の正当化—に気づくことができるからである。加害者は暴力をふるい、被害者を支配する。ここでいう支配とは、個的領域が奪われることであった。個的領域が奪われ相手とのゆがんだ親密的領域の中でしか生きられなくなった被害者は、その暴力に対して反論する余地がなくなる。逃げられなくなる。安全地帯そのものがないし、そもそも安全地帯があったことさえ忘れ去られてしまう。そのため、暴力は、被害者によって消極的に正当化されてしまう。

したがって、そういった被害者を支援しようとするとき、公的領域を拡充するでも親密的領域を拡大させるのでもなく、ひとまずは個的領域を用意し、そこを豊かにしていくことが求められる。

個的領域において、被害者は、加害者による身体機能の管理から解放され、心身の自律性を回復する必要がある。個的領域とは、ささやかな抵抗の拠点であり、生存の拠点である。(p.71)

そして、本章の結部では、暴力によって奪われてしまう個的領域とは、「尊厳」と呼ばれるものに近いのではないかと示唆される。それは、生存の基盤でもあり、親密的領域や公的領域に足を踏み出していくときの安全基地でもある。ここもまた、極めて重要な指摘である。

さて、最後に、災害の場でこのような三分法は応用できるだろうと考えてみる。災害もまた、わたしたちから個的領域を奪う暴力であると言えそうだ。たとえば、プライバシーが守られない雑魚寝式の避難所・「被災者である」かどうかさえも罹災証明で行政的に決められてしまうことや、もともとのご近所づきあいを破壊する仮設住宅などは、まさに個的領域を奪いさる。さらにそのうえ、災害の場合は、親密的領域さえも奪い去る傾向があるように思う。上述の仮設住宅の例でいえば、いわゆるコミュニティの崩壊は、親密な地域のつながりを無くしてしまう。その結果として、孤独死になることも多い。本稿の枠組みで考えるのならば、災害とは、個的領域も親密的領域も奪い去り、生活のすべてを公的領域化するような暴力であるとひとまずは言えるかもしれない。災害ユートピアが訪れるというのは、社会秩序が崩壊した一種の自然状態に人間が置かれるからだ。また、災害後の混乱に乗じて政治が幅を利かせる現象(ショックドクトリン)も今や有名である。しかし、そこから時間が経過するにつれ、個的領域が回復していく。しかしながらその個的領域は、親密的領域無しの個的領域であり、いわば、孤立状態を生み出す。その最悪の結果として孤独死が生じる。ここまで考えると、災害とは、圧倒的な力で私的領域を破壊し、その後公的領域による支配と個的領域への閉じこもり(=親密的領域の喪失)を生むと言えそうだ。まあ、最後の部分は、災害そのものというよりも社会の問題に起因しそうだが。

https://www.amazon.co.jp/%E5%B0%8A%E5%8E%B3%E3%81%A8%E7%A4%BE%E4%BC%9A-%E4%B8%8B-%E5%8A%A0%E8%97%A4-%E6%B3%B0%E5%8F%B2/dp/4588151088

東畑開人著『居るのはつらいよ』

「ケアの光と影」

 「ケア」の必要性が叫ばれ始めて久しい。実際にデイケアの数は増えている(はず)だし、災害後の避難所に行けば「心のケア」のブースがあることは多いし、「ただそばにいること」の重要性も認知されてきている。ケアに対して、悪い感情を持っている人は、ほとんどいないだろう。「ケア」は現代社会に非常に欲せられている。

 しかしながら、「ケア」あるいは「ただ、いる、だけ」というのは、実は苦痛を伴うものでもある。例えば、評者は、学部生の時にとあるデイケアにボランティアとして行っていたことがある。意志の疎通がほとんど不可能なくらいの障害をお持ちの方と二人でペアになって、一日を過ごすというボランティアだった。もちろん、することは何もない。会話も通じない。ただひたすら、ぼーっとしているだけである。こういう時に限って時間が進むのが遅い。逃げ出したくなる(この時の様子は詳しくは拙エッセイ「弱さの力」をお読みください)。「ただ、いる、だけ」というのは、基本的には苦痛を伴うものなのである。居るのはつらいのである。

 本書は、京都大学を卒業後、沖縄のデイケアで数年間臨床心理士として働いていた東畑開人先生の、デイケア論である。デイケア論といっても、本書で描かれているのは、デイケアの日常である。本書は一流の「小説」としても読めるほど面白い。本書の冒頭部分で、「居るつらさ」がありありと描かれている。引用しよう。

***

 何もすることがないし、何をしてもいいかわからないし、どこにも行けないから、時間を潰すためだけにタバコを吸う。

 肺が重い。

「それでいいのか?それが仕事なのか?」

(中略)

 することがないから時間が進まない。肺だけではなく、時間まで重たくなる。

 不毛な時間が僕らを侵す。

(中略)

 「それでいいのか?それ、なんか、意味あるのか?」

 答えることができない問いを前に、僕は答えることを諦める。

 「わからない、居るのはつらいよ」

***

 居るのはつらい。でも、つらいのはなぜだろうか。それについて考える前にケアとは何かについて本書から学んでみよう。

 ケアとは、「とりあえず座っている」ことである。この「いる」ということがケアの基盤になる。そして、「いる」ことは誰にでもできる仕事である。キテイはこういう素人仕事のことを「依存労働」と呼んだ。「依存労働」とは、誰かにお世話をしてもらわない人のケアをする仕事のことであり、母がしているようなすべてを一人でまかなうような仕事である。そして、このような労働の形態は、ウィニコット的な「遊び」の形態と近くなる。ここで言う「遊び」とは、ゲームをして楽しいとかそういうことではなく、「一緒に○○する」ということである。依存労働は、その原初的形態において既に複数人を必要としているのである。

 ケアについて一言で言うならば、「『一日』を過ごせるようになるために、『一日』を過ごす」(p.188)ということである。この「すごす」のトートロジーこそがケアの本質である。そして、本書の舞台であるデイケアとは著者の言葉を借りれば、「究極のコミュニティ」である。なぜなら、「それは『いる』ために『いる』ことを目指すコミュニティであり、コミュニティであるためにコミュニティであろうとするコミュニティだからだ」。いるということがケアの重要な点であった。それゆえ、デイケアは、ケアのためにケアをする場所と言い換えることもできる。このとき、ケアをする側とされる側というような主体客体の擁立はなされない。いうなれば、デイケアにおけるケアの主体は、デイケアという「コミュニティ」なのである。このことは、國分功一郎の中動態概念を参照すれば理解できよう。つまり、デイケアにおけるケアとは「コミュニティの内部で生じて、コミュニティの内側で作用する」(p.224)ものなのである

 本書では、これらをまとめて、ケアとは「傷つけないこと」であるとまとめられる。デイケアのメンバーさんは、様々なニーズを挙げる。そのニーズにひとつひとつ答えていくことで傷つかないようにすることがケアなのである。メンバーさんたちは、社会の中でうまく「いる」ことができない。だから、ちゃんと「いる」ことができる場としてデイケアがある。それゆえ、「いる」ということはケアとして機能するのである。ケアは外的な変化の圧力に耐え、日常を再生産していくのである。

 対照的に、セラピーとは、傷つきに向き合うことである。そしてそれはニーズを変更することである。例えば、「一緒にいてほしい」というニーズに対して、ずっと一緒にいることはできない(一日のうち23時間とか一緒にいることが求められてしまう!)。だから、セラピーは、「一緒にいてほしい」と望むメンバーに対して「一緒にいなくても、自分のことを悪く思っていないとわかる」ようにしていく。セラピーは、変化のための介入をするのである。

 さて、本書では、さまざまな「いることのつらさ」が例示されている。たとえば、手持ち無沙汰。何もすることがないというのは苦痛である。そのため、デイケアでは、カードゲームやスポーツなどでみんなで「遊ぶ」ことで、「いる」ことのハードルを下げていく。しかしながら、もっと深刻なのは、人が辞めていってしまうことである。本書において、中心人物となる男性看護士が3人いる(というか、舞台となるデイケアには看護師は3人しかいない)。しかし、その3人は、数年で全員辞めてしまう。挙句の果てには著者の東畑先生も辞めてしまう。これはなぜなのか。東畑先生は、ケアをめぐる社会の構造が問題ではないかと論を進めていく。

 ブラックデイケアというものがある。いることを続けるということは、「治さない」ということでもある。つまり、患者が常に治療費をはらい続けてくれるという構造がデイケアにはある。患者さんに「いてもらう」ことによって収入が得られる。そのため、あるデイケアは、患者をそこに閉じ込め、出ていかないようにする。「いる」ことを管理し始める。「いる」ことを強制する。デイケアの経営のために、効率性とか生産性を高めるために、「いる」ことが利用される。こうなったらもはや、「いる」ことは脅かされている。

 「居るのはつらいよ」。本書のタイトルの意味がここで明かされる。「ただ、いる、だけ」の価値は、それによって金銭を得られるということに頽落してしまう。ケアという何をやっているのかよくわからない世界は、セラピーという変化が良く見える世界にとってかわられてしまう。「ただ、いる、だけ」は、その価値を金銭収入に求めるしかなくなってしまう。いることの重要性は、それを理解しようとしない会計の人たち声によって容易にかき消されてしまう。「居るのはつらいよ」。

 本書で、解決策は示されていない。しかしながら、東畑先生のいきいきとした筆致は、いることのかけがえなさを鮮やかに描写している。このような言葉が、このような金銭を産み出さない非生産的な言葉が、じつは、「いる」ということを守っているのだ。

舞城王太郎『世界は密室でできている』

たとえば、ぼくが中学生だったころ、それはつまり、長野県からほとんど出たこともなく、というよりも市内からほとんど出たこともなかったころ、ぼくは、広い意味で密室に閉じ込められていたと言うこともできるだろう。自分の家と友だちの家と学校を行き来するだけで完結する生活。外部の世界があるということは知っていたけど、そこへ行ってみようとは、あまり思わなかった。頭の中の地図は、自分の家から半径数キロメートルしか描かれていなかった。

密室というのは、なにも「脱出不可能な部屋」とか「閉ざされた雪の山荘」とか「孤島」に限らない。ぼくたちは、絶えず、なんらかの密室の中で生活している。

本書は、このような広い意味での密室の中で青春を過ごす中学生の由紀夫と、その友だちでもある名探偵ルンババ12の物語である。本書の中には、いくつかの密室が登場する。密室内の遺体が不自然に窓の外を見つめている一連の密室、一家が惨殺された後にその遺体が家中を引きずり回されている密室、その家庭の父親が別の人の家の中で死んでいてダイイングメッセージに「あ」と書かれている密室、福井の山奥で4つの密室の中に十数体の遺体が4コマ漫画のように並べられている密室。そして、ルンババ12の父親が息子を部屋に閉じ込めておくために作った密室。しかし、それらの密室は、読者がトリックを考えるよりも先に解かれてしまう。

だから、「世界は密室でできている」と言ったときの「密室」とは、ミステリを構成する上での仕掛けとしての密室ではなく、冒頭で書いたような、田舎で生まれ育った青年の、田舎の中で完結しようとしてしまうような、人生のことなのである。

本書では、この密室に風穴を開ける存在として、東京に住むツバキ・エノキ姉妹が登場する。由紀夫は修学旅行で東京に行き、ひょんなことから埼玉にあるツバキエノキ姉妹の家に連れていかれる。そして、東京の宿舎までエノキの運転する車で送り返されるのだが、そこで、エノキが泣いてしまい、由紀夫は彼女を必死で慰める。

「それから僕は埼玉のどこかの国道の脇で、初対面の女の子に、出会って二時間でキスを奪われるという、唐突すぎて素敵なんだかどうだかわからない経験をする。」(p.53)

舞城の作品にとって、キスは、それほどロマンチックに行われない。「愛」みたいなもので、それを原因づけることをしない。それは剥きだしの衝動である。かといって、キスによって性的に満足されるというわけでもない。人間が性として分かたれる以前の人間そのものとしての衝動である。

いずれにせよ、そこからエノキは、由紀夫と頻繁に電話をするようになり、その年の夏に、大きな事件が起き、ルンババがそれを解決し、エノキは由紀夫とルンババの住む福井県に引っ越してきて、由紀夫の家に居候することになる。そして3年がたち、福井で大きな密室殺人が起き、ルンババが首尾よくそれを解決し、物語は幕を引く。

のだが、ルンババは最後に、もう一つの事件を解決する。それは、13歳の時に屋根の上から落ちて死んだルンババの姉である涼ちゃんの事件の真相であった。そして、ルンババは、その真相を暴いたうえで、姉と同じように屋根から飛び降りる。姉のときとの唯一の違いは、家の下で、友人である由紀夫とエノキが布団をかき集めて、彼を受け止めようとしている点においてである。

「「行けー!」と僕は叫んだ。「飛べルンババ!飛んで落ちてばっちり生き残って、涼ちゃんより長生きするんや!」」

「「行けー!」と泣きながら、エノキも叫んだ。そうだエノキも僕たちとこれからも一緒に生きていくんだ」(p.238)

ルンババはなぜ名探偵になったのか。あのとき助けられなかった姉を助けたいという思いが彼の心の中にあったからである。そして、彼にとっての謎の解決は、論理的に導き出される理路整然とした紙上の方程式の解ではなく、一緒に生きてきた友人たちと再び歩み直す生身の人生だったのである。