外部資金の獲得や教育経験などresearch mapへ移行しました。結構マメに更新していますので,気が向いたときに見てもらえるとうれしいです。
以下は,自分が関わった論文の一言コメントです。時間が不意にできたときにばばばっと更新するので必ずしも最新ではないですし,けっこうヌケモレがあるかもしれません・・・。
2022年
宮前良平. (2022). 争いとしての災害. 争う. 大阪大学出版会.
編者の栗本英世先生から「宮前くん『争う』をテーマになにか書いてみないか」と言われ,ブルブルしながら書きました。災害は一見すると争いが不在にも思えますが,人災である場合には争いが前面化しますし,自然災害であっても「研究者は予見可能だったはずなのに隠していたのではないか」という疑念にさらされることもあります(実際にイタリアではラクイア地震の際に地震研究者が裁判にかけられました)。また,より大きな視点で見れば,私たちと自然の関係は常にいわば平衡状態を保っており,それが大きく振れたとき災害と言えるのかもしれません。書き終わった後になってアイデアは浮かぶもので,自然災害―人災―戦争というスペクトラムを導入したら見通しがたったなとか,今になって思います。
宮前良平・置塩ひかる・王文潔・佐々木美和・大門大朗・稲場圭信・渥美公秀. (2022). 実践としてのチームエスノグラフィ. 質的心理学研究, 21(1), 73–90.
熊本地震のあと,僕たちの研究室では複数人で熊本に入り続けました。それぞれがそれぞれのフィールドノートを書きながら,それを共有しながら研究を続けました。このようなあり方を「チームエスノグラフィ」という視点でまとめなおし,羅生門問題を逆手に取りながら,チームエスノグラフィだからこそ可能になること-それは新たな実践が展開されるという意味で非常にアクション・リサーチ的でもあります-を考察しました。そのため,本論文は共著者がとても多く,調べてないので不確かですが,たぶん質的心理学研究史上最も共著者の多い論文なのではないかなと思います。
宮前良平・藤阪希海・上總藍・桂悠介. (2022). 「サバルタンは語ることができるか」を共に読み共に書く : 共生学の3 つのアスペクトを中心に. 未来共創, 9, 243–275.
スピヴァクの『サバルタンは語ることができるか』の読書会がもとで生まれた論考です。共著者2名のオートエスノグラフィをベースに,スピヴァクのテキストを発展的に読むということをしました。宮前は第2章と第5章を担当し,全体統括もしました。スピヴァクが本書の中で自己言及をしている箇所を取り出し,サバルタンについて語る知識人への批判を語るスピヴァクも特権的な知識人ではないかというありうべき批判への一種の回答をすでにスピヴァクが行っていることに着目しました。その際に,「当事者不在」という問題や「当事者不在という言説の批判にすら当事者がいない」という問題を定式化しました(p.250)。そして,結論では「サバルタン連続体」という概念を考えながら,いかに当事者非当事者という分断を乗り越えるかをまたしても宮地尚子先生の環状島モデルを用いながら考えました。
2021年
宮前良平. (2021a). 大学新入生たちによる外出自粛生活のオートエスノグラフィ : 文集「パンデミックを歩く」を題材に. 共生学ジャーナル, 5, 186–206.
当時勤めていた大阪大学には「学問の扉」という1年生対象のゼミ型授業があり,フィールドワークをしてエスノグラフィを書く授業をしようとしていたのですが,一気に新型コロナが猛威をふるい,フィールドワークは夢のまた夢,一体どうしようか・・・と悩んでいたところ,自粛生活自体をフィールドワークということにしてしまえばいいのではと思いつき,自転車操業で行った授業の記録のような論考です。でも,実際授業をしてみると決してラクな授業ではなかったと思うのですが,学生たちのウケもよく,なかなか鋭いことを書いてくれる学生も多く,これは受講生のみんなにモノとして手渡ししたいなと思い,表紙と奥付も付け印刷しました。文集の中身も以下のリンクから読めるようになっていますので,関心のある方ぜひ(1年目「パンデミックを歩く」,2年目「新しい普通を生きる」)。
宮前良平. (2021b). サービス業化する災害ボランティアセンターにおける反「おもてなし」の可能性. 災害と共生, 5(1), 1–11.
災害ボランティアとして被災地に行くことが多いのですが,最近の災害ボランティアセンターってすごくしっかりしているし,いいなと思うと同時に,たまにクレーマーのようなボランティアもいて,平身低頭謝っているボラセンのスタッフさんを見て,どうしてここに「店員―客」のような非対称な関係があるのだろう,一緒に被災地を良くしようとする仲間のはずじゃないか・・・と思ったことに端を発して書いた論文です。山内裕先生の『闘争としてのサービス』という本を読み,これだ!と思い一気に書きました。おもてなしを意味する英語hospitalityはその語源をたどるとhostility(敵意・敵対心)と同根だという話があり,なるほどたしかに,ボランティアを「おもてなし」するというのは,かれらを少し離れた位置に置くということにつながるのだなと納得。そこから,ボラセンはおもてなしなんていいから,ボランティアとともに被災者のためになる活動をという方向性に折に触れて立ち返ることが必要なのではないかと結論付けました。
宮前良平. (2021c). 空白と傷:訳者解題のためのノート. そこにすべてがあった:バッファロークリーク洪水と集合的トラウマの社会学. 夕書房.
カイ・エリクソンの『Everything in its Path』の邦訳に寄せた訳者解題。編集者の高松さんから「宮前さんや共訳者の大門さん高原さんが東日本大震災の被災地で感じたことを書いてください」と言われ,外部支援者という非当事者性への自己洞察を書かねばと思い書きました。とはいえ,当事者/非当事者の話はけっこうややこしくて,当事者の立ち位置を神聖化しすぎると議論は閉じてしまうし,かといって非当事者もかかわるべきだという話は当事者の言葉を奪い去ってしまうような危険性もあるし・・・と筆が止まっていたところで,僕の論文を読んでくれたという東日本大震災の被災地出身の学生から送ってもらった卒論で主題となっていた「半分当事者」というワードに導かれてそれなりに納得できるものが書けました。もう一つ,訳者解題なので,『EiiP』の魅力を伝えたいと思い,集合的トラウマの特徴のみならず,著者のカイ・エリクソンを一種の非当事者として描写した上で,当事者/非当事者のボーダーを超えて,「悶え加勢」しようとしていたのではないかということを書きました。高松さんにHPに載せてもらった文章を引用します。「傷を聴くというのは、その傷を我がことのように思いなすのではなく、非当事者にはわかり得ない領域があることを踏まえた上で、それでもなお、なんとか理解しようともがき続ける人がいるということを示す行為なのかもしれません。本書は、集合的トラウマの輪郭を描き出した以上に、バッファロー・クリークでもがき続けたカイ・エリクソンの姿を留めているという点で優れた書であるのです。」そして,最後に2020年に訳者三人でバッファロー・クリークに行ったときの様子も書きました。バッファロー・クリーク訪問の1週間後くらいから新型コロナが世界的に大流行し,かなりギリギリの渡米でした。
川端亮・佐藤功・宮前良平. (2021). 関係人口論からみる大学の地域とのかかわり : 西予市野村地域における事例
僕がとてもお世話になっている西日本豪雨の被災地,愛媛県西予市野村地域での実践をまとめた論考。宮前は第2章を担当。世にはびこる関係人口論をあらかた読み漁り,できるだけ最大公約数的な定義を考えました。それが「定住者ではない人びとが居住地域以外の特定の地域と非消費的な関係を持つ」(p.80)というもの。だけど,あんまりインパクトはなかったので,そんなに広まっていないようす・・・。
2020年
宮前良平. (2020a). <書評>永野三智(著)「みな、やっとの思いで坂をのぼる 水俣病患者相談のいま」. 災害と共生, 4(1), 153–157.
この年のGWに友人を訪ねて数年ぶりに水俣へ行きました。そこで出会った何人かの人びとから時間は短くもとても多くのことを学びました。そして,大阪へ帰り,水俣で出会った人のうちの一人である永野三智さんの本を読み,とても感動して,その勢いのままに書いたのがこの書評です。書評の中で僕は「記録を残すこと」と「悶え加勢」の2つが重要だと感じました。それは,非当事者が関わるためのとても豊かなヒントになっているように思ったからです。とくに悶え加勢という言葉(自分なんかに何ができるだろうかと悶えていることが,当事者のこころが少し楽になる,というような意味合いの石牟礼道子さんの言葉)には,自分自身救われたような気がしました。
宮前良平. (2020b). 復興のための記憶論ー野田村被災写真返却お茶会のエスノグラフィー. 大阪大学出版会.(→Bookのコーナーへ)
宮前良平. (2020c). 死者との共同体―記憶の忘却と存在の喪失. 共生学宣言. 大阪大学出版会.
編者の志水宏吉先生から,「宮前くん,死者との共生というテーマで書いてみないか」というオファーをいただき,ビクビクしながら書きました。東日本大震災以降の日本は,あきらかに津波で亡くなった人が幽霊として私たちの前に現れることを(消極的にせよ)信じる共同体となっていると思います。そして,死者との対話が重要な意味を持つことを私たちは信じている。しかし,ドライに言ってしまえば,死者は声を持たないので,死者との対話は畢竟,死者というイマジナリーな存在を媒介とした自己対話にすぎない,はずです。でも,それでも,物言わぬ死者と出会い,対話することが可能であると信じる共同体が,「死者との共同体」なのではないか,と論じてみました。その際に,宮地尚子先生の環状島モデルの〈内海〉と〈外海〉-どちらも語りが存在しない場所です-の存在の重要性に着目しました。そうしたら,とある全国模試に宮地先生の文章をより深く考えるという設問に僕の文章が使われたようで,僕も問題文をもらったのですが,難しくて全く解けませんでした・・・。
本論文の共著者たちで構成された復興ワードマップ研究会の中間報告のような論考です。宮前は,「被災写真ということばに着目し,東日本大震災後に被災写真が「遺失物法」あるいは「水難救護法」によって保管期間が制限されたという事実を書き残しました。いまや,被災写真や思い出の品は,被災者にとって大切なものだからできるだけ保存して返却していこうという話が通じやすくなってきましたが,東日本大震災当時は,「これ,どうしたらいいんだ・・・」という戸惑いも多く見られたようです。
カイ・エリクソンの「EiiP」の翻訳を出版しようという計画が共著者である大門さん高原さんとの間であり,出版社に売り込むにしてもなにか形がないと難しいよねということで,質心大会で分科会を開き,復興学会に本論文を投稿しました。集合的トラウマは半世紀前のアメリカで生まれた議論ですが,東日本大震災以降の現代日本でも十分に通用する概念枠組みであることを再認識しました。宮前は第4章を担当。「ふるさとの喪失」を集合的トラウマと絡めて論じました。ちなみに,集合的トラウマの論点とは,自分なりの理解でまとめれば,「災害とは人間の「集合性」を奪い去ってしまい,復興とは「集合性なき集合体」を形成させてしまう」点にあると思っています。
被災写真洗浄・返却活動を英語圏でも広げようと思って書いた論文。研究室の先輩の宮本匠先生の「めざすかかわり」と「すごすかかわり」という議論を「Picturescue」に当てはめながら考察しました。Northumbria Universityで在外研究をしていたときにAndrew Collinsと議論しながらブラッシュアップしました。支援活動は「目標」とか「終わり」を設定してしまうけれど,そうじゃない支援のあり方が大事なんじゃない?ということでAndrewと盛り上がりました。
2019年
宮前良平. (2019a). 「被災者の言葉を奪った」とはどういうことか : 小説「美しい顔」をめぐる論争から. 未来共生学, 6, 426–432.
北条裕子著『美しい顔』は,小説制作上の問題から「被災者の言葉を奪った」と強く批判された。しかしながら,非当事者が被災地や被災者について書くとき,被災者の言葉を奪わないことは可能だろうか。研究者も,いかに研究倫理に気をつけているとはいえ,原理的には被災者の声を奪いながら研究をしているのではないだろうか。ということを書きました。しかし,この論点は,当事者が書くものしか認められないというような当事者正統主義につながり,非当事者は手を引かざるをえないというネガティブな結論に帰結するように思います。「共事者」という言い方もなさることもありますが,もう一歩踏み込んで考えたいと思っているテーマです。(→この論文でそのあたりをかなり丁寧に議論しておられます。とても勉強になりました。加島正浩. (2021). 「被災地」を前にした小説には何が可能なのか. 人文×社会, 1(2), 53–69.)
宮前良平. (2019b). 〈不在〉の写真を見る/撮る. 災害と共生, 3(1), 25–38.
震災によって失われてしまったモノの跡地の写真を見て,ある人は「それを思い出す」ではなく「それが見える」と言った。その写真にはソレは写っていないにもかかわらず,である。そういった写真のことを〈不在〉の写真と名付けて,ロラン・バルトの写真論や森岡正博先生の脳死の存在論を参照しながら考察しました。「それが写っていないからこそ,よりありありと写っていないそれが知覚される」という現象は,ギブソン→リードの生態学的想起論につながりそうだと思い,すこしずつ勉強をはじめました。
2018年
宮前良平・渥美公秀. (2018a). 被災写真による「語りえないこと」の恢復. 実験社会心理学研究, 58(1), 29–44.
岩手県野田村での被災写真返却お茶会での事例をもとに書いた論文その2。野田村でいろいろとお話を伺っていると,被災された方があえて語らないようにしているのではないかなという瞬間に何度か立ち会います。そういった瞬間の一つを「秘密」というキーワードで主題化して書いてみました。なんでもかんでも語れるようにするのではなく,語らなくても大丈夫という空間を恢復することが復興なのではないかなと思っています。余談ですが,この論文をとても気に入ってくれて連絡をくれた被災地出身の学生さんが自らの経験を書いた卒論を僕に送ってくれたことがあります。とてもよい卒論で,そこから発想を得て,「半分当事者」について書いたものが拙訳『そこにすべてがあった』所収の「訳者解題のためのノート」の一部となっています。
宮前良平・渥美公秀. (2018b). 復興における死者との共生に関する一考察:犠牲のシステムを手掛かりにして. 災害と共生, 2(1), 1–11.
語らない存在である死者と共生するとはどういうことかについて考えました。スマトラ島にあるバンダアチェの津波博物館に行った紀行文みたいな感じです。この論文中ではあんまり上手く言いたいことが書けなかったのですが,博論を書籍化するにあたってもう一度考えを深め,その後宮地尚子先生のトラウマの環状島モデルとも出会い,幾分かブラッシュアップして『共生学宣言』に同様の主題で書きました。
2017年
宮前良平. (2017). 大学生ボランティア介助者における障害の透明化. 未来共生学, 4, 127–159.
僕が学生のときに入っていた某サークルでの気づきをもとに大学生介助者5人へのインタビューをまとめた論文。介助者たちは,介助を続けるにあたって,利用者さんの障害をとりたてて意識しなくなる(=透明化する)ということを書きました。そして,障害受容論を参照しながら,「障害を受容なんかしなくても生きていける社会」こそが共生社会のあり方なんじゃないのということを書きました。
宮前良平・渥美公秀. (2017). 被災写真返却活動における第2の喪失についての実践研究. 実験社会心理学研究, 56(2), 122–136.
岩手県野田村での被災写真返却お茶会での事例をもとに書いた論文その1。津波で流された写真が持ち主に返却される場面もたくさんあるんですが,自分の写真が見つからないこともたくさんあります。そういった中で,写真返却を止めてしまって,写真をすべて「お焚き上げ」してしまうと,被災された方々にとって,写真を失ったということさえ失われてしまうのではないか,そんな問題意識があって書きました。
2016年
災害復興のツールとしてコミュニティラジオと被災写真というメディアに注目した論文。宮前は途中の「Picturescue」(Picture+rescueで写真救済活動という造語・渥美先生のアイデアです)の章を書きました。見田宗介の交響体の話も出てきます。