『脱病院化社会―医療の限界』(イヴァン・イリイチ著・金子嗣郎訳)

【本記事の内容をブラッシュアップして書評論文にしました。こちらからご覧いただけます。】

著者のイヴァン・イリイチ(イリッチとも)は1926年生。人間が本来行ってきたことが専門化され自律性が奪われていくダイナミズムを描いた。彼のテーマは教育・交通と変遷し、本書においては医療システムが焦点化された。

本書『脱病院化社会』(原題:医療の限界)は、医療システムの成立・発展によって人間の自律が脅かされていくありさまを描き出した。とはいえ、現代的な意味での脱病院化は脱施設化を意味することが多く、地域における医療の拡大と捉えれば、病院の偏在化とも言え、本書における脱医療の思想とは若干異なる点にも注意したい。もちろん、脱病院化と脱医療化が重なることも多い(地域ケア・コミュニティナース?)が、それらも国の施策、つまり医療予算の削減として行われている場合があり、本書でのイリイチの主張である政治的参画とは厳密には異なる。

さて、本書では医療の発展による社会病理のことを「医原病」と名付け分析している。医原病は臨床的医原病、社会的医原病、文化的医原病と段階的そして不可逆的に発展する。それぞれについて見ていこう。

①臨床的医原病:医療によって病が引き起こされるというとき、一般的にイメージされるのがこの臨床的医原病だろう。これはたとえば、診断の間違いなど医師のミスによって生じた病や、薬の副作用のことである。言い換えれば、医者や薬がいなければ生じなかっただろう病気のことである。

②社会的医原病:医療の対象が拡大し、ありとあらゆるものが医療化された段階。医学によって病気とはなにか、健康とはどういう状態かが決定され、そこから逸脱する人は社会的に承認された医療システムによって病人とされる。また、必要以上の医療が提供され、予防医療や死の医療化によって、健康なときでさえ医療が必要となる。いわば、医療「への」疎外が社会的に生じる。治療のために病院に閉じ込められ、治療のために医療に自らの身体を差し出すことが社会的に妥当となる。このような段階において「患者」はもはや社会のマジョリティとなる。

③文化的医原病:臨床的医原病は医療ケアの結果生じる病であり、社会的医原病は人間が本来的に持ち合わせているはずの、自らの健康を維持し病を治癒する技法を医療制度が奪った段階である。イリイチは、医療制度の透徹によって奪われるのは治癒の技法だけではないと主張する。イリイチは、医療が発達した文化において痛みは取り除かれなければならないものとなった(pp.103-104)と主張する。そうすると、私たちは、痛みや苦しみを取り除くばかりで上手く付き合う術が失われる。つまり、医療化によって文化的に培われた受苦の技術(苦痛を受け入れる権利)が奪われるのである。スローガン的に言えば、「私たちから苦しみ、痛みを奪うな!」というのが、ここでのイリイチの主張である。この段階に至っては、医療は病気を治すことはあれ、人を癒やすことは困難になる(p.126)。文化的医原病は、罹患している状態を感知することさえ困難ゆえ、そこから抜け出すことは至難である。一種の「世界宗教」(p.161)と化す。

イリイチにとって健康とは何か。

一般的に考えれば、健康とは痛みや苦しみを抹殺し、乗り越えた状態のことだろう。しかし、イリイチの健康概念は、痛みや苦しみとともにある状態のことである。「健康であるということは[…]喜びと苦しみの中にあって生命を感じうることを意味している」(p.100)。したがって、痛みや苦しみ抜きの健康はイリイチの考えでは有り得ない。対して医療は、健康を促進するものというよりも痛みや苦しみを取り除く。「苦悩する人間の代わりに病気が医療体系の中心におかれ」る(p.126)。そのため、イリイチが分析する医療とは、病因を測定し診断しそれを取り除くシステムのことであり、それが達成された状態を一般的な「健康」と呼ぶが、このような状態はイリイチ的には(文化的)医原病と呼ぶだろう。

したがって、イリイチの比較的単純化された議論にひきつけて言えば、(文化的)医原病から抜け出すためには痛みや苦しみを取り戻す必要がある。

イリイチが痛みや苦しみを重視するのは、「健康と病気(受苦)は人間を動物から区別する現象である」(p.100)からである。(上述の通り、苦しみも含みこんだ上での生命の喜びをイリイチは健康と呼んでいるのであり、そういう意味で言えば、受苦もまた健康の一部分であるのだから、この文章における健康と病気(受苦)は、対立概念というよりも不可分な概念として並置されていると考えたほうがよさそうだ。)痛みや苦しみは言わば人間の条件である。それゆえ、痛みや苦しみを取り除くことは人間性の収奪なのである。医原病は、医療によって新たな病気になってしまったというしっぺ返し的な逆説以上に、医療によって人間が人間であることを奪われてしまうことを問うている。

  • 痛みによって私がかたどられるという話は、幻肢痛の議論を惹起させる。例えば、『記憶する体』(伊藤, 2019)で取り上げられている、ある人は、義手をつけることで幻肢痛が無くなってしまうと「腕を忘れる」ようで寂しいと語っている(pp.141-142)。痛みによって今はもうない腕が存在している。
  • さて、イリイチは痛みによって人間は人間たらしめられると論じているわけだが、痛みの性質の中でも特に私秘性に注目している。「同じ頭痛を悩まないかぎり、誰も「私の痛み」を私が意味するようには理解しない。同じ頭痛を悩むことは、彼が他人であるのだから不可能なことである」(p.108)。痛みはその痛みが当人にとっての痛みである以上、他人に伝達できない。そういう意味で痛みは個人的なものであり孤独であり、それゆえ他者との断絶である。しかし逆説的に、イリイチはここに他者とつながる可能性を見出している。「身体的痛みを他人に伝達することは不可能であるにもかかわらず、他人の身体的痛みを知覚することは基本的に人間的なことである[…]われわれが痛みの感覚を共有するという確実性はは特別なものであって、われわれが人間性を共有するという確実性より以上のものである」(p.109)。そしてこのような感覚を培うのが文化である。「痛みは、文化によって、言葉、叫び、動作で表現される問題に形づくられ、それらは痛みが体験されるまったくの混乱した孤独の中で分かちあいたいという絶望的試みとして、しばしば認められる」(p.112)。つまり、痛みという私秘的な現象は、文化によって他者と分かち合う技法が育まれる。痛みは孤独であるが、他者とつながりあう契機を持つ。痛みを取り除いてしまうことこそが真の孤独となるのである。
  • ここで、私は、「痛みの共同体」というようなテーマを思いつく。それは佐々木さんのメールにも書かれていた言葉であり、痛みの私秘性について考えたときに思い浮かんだ、渥美先生の「共感不可能性の共感」にも通ずるテーマであるように思う。あるいは、「〈不在〉の写真を見る/撮る」という論考で書いた私の思索の連なりに位置するかもしれない。私たちはそれぞれ、原理的に言えば自分にしか分からない痛みを抱えている。その痛みは、しかしながら、イリイチにしたがえば、他者とつながる回路にもなりうる。
  • 痛みを取り戻すということに価値があるとするなら、災害にも価値があるのかもしれないとも思う。災害はないにこしたことはないのか。しかし、そんな単純な話ではない。痛みというのがネガティブなものである以上、災害があったほうがいいというふうには口が裂けても言えない。ましてや、現実に被災して苦しんでいる人がいる以上、無責任なことは言えない。それでも、痛みによって共同体ができていくという発想には、どこかポジティブな響きもあり、そのポジティブさを丹念に言葉にしていかないといけないと思う。最近、私が取り組んでいる「集合的トラウマ」の議論も参考になるかもしれない。『Everything in its Path』の中でカイ・エリクソンは、コミュニティの破壊、共同性(コミュナリティ)の喪失によって集合的なトラウマが生じると論じているわけだが、この議論をひっくり返せば、トラウマが生じている範囲に共同体があったというふうにも捉えられる。実際にエリクソンはトラウマの定義を拡大していく中で、多くの人との連帯を見出そうとしている(邦訳pp.307-309)。そしてこの連帯は、傷ついた者同士の傷の舐めあいというような型通りで陳腐なものではなく、イリイチの言う文化のような人間の尊厳を守るものであるように思う。
  • 「ないにこしたことはない」という言葉からの連想で、以前読んだ立岩真也の論考「ないにこしたことはない、か・1」を再読した。この論考の主語は障害および障害者であるので、イリイチの議論からは飛躍もあるが、参考になればと思い、読み返してみた。立岩のしゃべるようにいくつも枝分かれしていく文体に手こずりながら読んでいくと、悪名高き倫理学者ピーターシンガーの端切れのいい文章が引用されていて目に飛び込む。

動き回るためには車椅子に頼らざるをえない障害者に、奇跡の薬が突然提供されるとする。その薬は、副作用を持たず、また自分の脚を全く自由に使えるようにしてくれるものである。このような場合、障害者の内のいったい何人が、障害のある人生に比べて何ら遜色のないものであるとの理由をあげて、その薬の服用を拒否するだろうか。障害のある人たちは、可能な場合には、障害を克服し治療するための医療を受けようとしているのだが、その際に障害者自身が、障害のない人生を望むことは単なる偏見ではないのだということを示しているのである。

(Singer 1993=1999, p.54)山内・塚崎(監訳)『実践の倫理[新版]』
  • シンガーが言うには、障害はないほうがいいでしょう、だって障害者自身も「奇跡の薬」があったら飲むはずだから、そしてこのことは障害については否定するかもしれないが、障害者を否定することにはならない、ということだ。もちろん、現実に「奇跡の薬」は無いし、障害とともにある世界だけがあるのだから、こういった思考実験は意味を持たないという批判もありうるし、私もシンガーにはそういう批判を差し向けたくなる。しかし、たとえば、「最初から障害のなかった世界」があったらそれはそれでいいのかもとつい思ってしまう自分がいる。たとえばシンガーの思考実験に付き合って、逆に「痛みもなく障害を持つことができる薬」があったら健常者(であるだろうあなた)は飲むかと問うてみたらどうだろうか。飲みたくないと思う人は、「奇跡の薬」を批判する論理を持てるだろうか。
  • この議論が災害の場合とどのように接続できるのかできないのか、今の段階で明瞭なイメージがあるわけではない。「最初から災害のない世界」をイメージすることができないからだ。それはあまりにSFすぎるし、たぶん、人間と自然の関係からすべてが現在の世界とは異なる世界だからだ。だから、障害学を参照にした部分は、もしかしたら議論としては行き止まりなのかもしれない。ただ、もしかしたらどこかで活かされるかもしれないと思い、備忘録的に書いておくことにした。

イリイチにおける自律とはなにか。

イリイチにおける自律概念は少し注意して読み取ったほうがよさそうである。すでに述べたように、イリイチは市民が健康や病についての自律性を医療制度から取り戻すべきであると主張する。しかしながら、彼の主張する自律は、自らをすべてコントロール化に置くというような発想とは若干異なる。たしかにイリイチは、本書を通して、生命が他律的に管理されることへの批判を展開している。

そういう意味で言えば、医療のお任せにならないように、健康であれ病気であれ自らの身体を引き受け直し、それらを自らがコントロールすることが、本書における自律であると言えるかもしれない。しかし、この理解水準ではイリイチの深みを引き出せないように思う。ここで注目したいのが38頁から39頁にかけて述べられた「苦悩、悲しみ、治癒が患者の外側のものにな」るというフレーズである。同様の記述は以下にも見られる。「それ(文化的医原病【筆者注】)は個人が現実に直面し、自己の価値を表現し、避けがたくもしばしば癒やしえない痛み、損傷、老衰、死を受け入れる能力を駄目にしてしまうのである」(p.99)。

これら苦悩や悲しみ、痛みは、私たちにとって避けがたくどうにもならないものである。しかしながら、このようなどうしようのないものが不意に襲ってくるかもしれないという他者性を引き受けることこそがイリイチの言う自律なのではないだろうかと思う。

  • ここで再び立岩真也の議論を思い出す。彼の主著である『私的所有論』の中で、自己とは誰かにとっての他者であるということによって存立しているというようなことを(私的所有論や自己決定論への論駁によって)述べている。そしてここで言う他者とは、コントロール不可能なものである。すでに述べた幻肢痛のいつ襲ってくるかわからない痛みや、障害によって思うように動かない身体、人生において突然やってくる苦しみなどである。立岩が身体について述べる際にしばしば用いる「不如意」という言葉はまさに他者性を意味している(はずである)。
  • そして、この不意に襲ってくるものとして災厄を考えることが重要だと思う。科学の進歩によって災害の発生はある程度予期予測されるようになったが、しかしながら、災厄は私たち社会にとって不如意である。だから、そのような不如意の災害を社会としてコントロールしつくしてしまうのではなく、不如意であるからこそ、自律が可能になるのではないかと思う。
  • そう考えれば、さきほどの「災害はないにこしたことはないのか」という問いにも少しは答えられそうだ。災害があることによって、その不確定性・不確実性・偶有性を受け入れることで社会は自律していくのかもしれない。受け入れるという技法の中に「痛みの共同体」のようなものも含まれるように思う。

事実と誤読

本を読んでいると、さまざまな読み方をしたくなる。それが優れた書物であるならなおさらであるし、逆に言えば、多様な読みに開かれている本こそが優れているのだとも思う。

だから、著者が想像もしていない誤読というものもある。テキストをどう読んでもそうは読めないだろうという誤読もある。でも、そういった誤読も、読みの可能性を広げるという意味でよいことであるし、否定されるべきではないだろう。もちろん、「正しい読み方」というものもあるだろうが、それを著者をはじめとする誰かによって強制されてはいけないと思う。

そんなことを考えたのは、桜庭一樹さんの小説『少女を埋める』にまつわる騒動を知ったからだ。『少女を埋める』は桜庭さんが経験したことをもとに書いた私小説の味わいがあり、主人公(「冬子」)の名前こそ違えど、小説の舞台となっているのは桜庭さんの出身である鳥取県だし、桜庭さんの作品である『GOSICK』や『赤朽葉家の伝説』が主人公の著作として描かれている。本小説を書評家の鴻巣友季子さんは「ケア」の小説として読んだらしい。らしい、というのはその書評がオンライン上では朝日新聞の有料会員でないと読めないことになっており、直接読めていないからだ。そして、その書評内には、冬子の母が父(母からすれば夫)を介護中に虐待したのだと紹介されている。しかしながら、著者の桜庭さんは、このような「事実」は無いとして、書評の修正を求めている。ということのようだ。(詳しくは以下のまとめがわかりやすいかもしれない)

https://togetter.com/li/1765531

この小説がまったくの創作であったのなら、どんな牽強付会な読み方をしていても良いだろう。しかし、この議論において問題なのは、『少女を埋める』という小説が一種の私小説として書かれており、読む人が読めばモデルが誰なのか一発で分かる点にある。すなわち、書評で「虐待があった」と紹介してしまうことは、単なる読み間違いというテキスト上の問題で解決されず、「本当に」虐待があったという事実レベルでの誤認を生みうるという点に、この対立の核がある。(テキストをきちんと読めば介護中の虐待はなかったとしか読めないという意見や、あらすじと批評の区別に関する問題点とか、そもそも文芸批評の媒体自体に問題構造があって・・・というような話もあるのだが、ここでは立ち入らない)。

私が思うのは、本小説が私小説であることのナイーブさをどのように捉えるべきなのかということを考えておかないといけないということである。私小説として発表するということの覚悟をどのように持つべきなのか、そしてその覚悟を読者はどのように受け取るべきなのかということである。

先に断っておきたいのは、『少女を埋める』という小説には、著者である桜庭さんの配慮が微に入り細に入りなされているということである。父の看病(それは結果的には看取りの旅になってしまうのだが)のために鳥取に帰省した主人公の冬子は、鳥取に暮らす親戚たちとも会うのだが、そこで、ともすれば女性蔑視と受け取られかねない、というか文字だけ見れば明らかに差別的な発言(「女の子がりこうだと困る」みたいな)を聞いている。しかしながら、冬子は、そういった差別的な発言が、田舎の因習的な構造によってなされていること、またそういった発言もよくよく考えれば冬子のためを思ってなされていることを丁寧に記述する(小説全体のモチーフとして用いられる「人柱」が効いている)。それでもやはりそういった差別は社会的に許されるべきではないことも小説内で何度も繰り返されている。このバランスをとるためにどれだけの工夫がなされているのか。私には到底できないほどの配慮である。

また、小説の中で繰り返し述べられる「記憶の危うさ」についても、小説に深みを与えていると同時に、ここで書かれていることは著者である私の思い込みに過ぎない部分もあるというエクスキューズとして機能することもできて、小説内に登場している現実の人びとを傷つけないための安全機構が何重にも張り巡らされている。さらにさらに、意図して書き落としていると思われる箇所が何箇所もあり、その書き落としこそが本小説の主題を支えているのだから、すごい。書かないことによって、登場人物を守り、小説としての輪郭を描いているのである。

とはいえ、やはり、小説として世に出した以上、読者には誤読する自由はあり、そういった誤読に著者のみならず小説に登場させた人物までさらされてしまうことは避けられない。私が普段書いているエスノグラフィもまた、そういった意味で私小説と共通している。エスノグラフィに書かれるのは基本的には現実に起きたことである。だから、登場する人もみな実際に私が出会った人たちであるし、いくら匿名化していても、読む人が読めば、本人を特定できてしまう。

そういった文章の書き手として、私の意図で文章内に登場させてしまった人たちを、誤読から守りきる覚悟を持たねばならないと思った。それはものを書く人間としての最低限の倫理であると。

そう思ったのは、アメリカの社会学者であるアリス・ゴフマンについての論文(前川, 2017)を読んだからかもしれない。この論文では、アリス・ゴフマンの書いたエスノグラフィー『オン・ザ・ラン』についての内容およびその「場外乱闘」についてとてもよく整理されている。『オン・ザ・ラン』の舞台はフィラデルフィアの貧しい黒人街区「6番街」。そこにアリス・ゴフマンは、6年間住み込みながら、フィールドワークを行った。それは参与観察と呼ぶにはあまりにも現地での暮らしと一体化したものだった。6番街の若者と「デート」をしたり、ときには法律すれすれの行為もしていたらしい。また、6番街で生活をともにした長年の仲間チャックがギャングの抗争の結果銃殺されるといったこともあったとのことである。

彼女のエスノグラフィには、6番街を中心に行われた数々の違法行為が描かれているが、彼女は調査対象者の保護のため、その証拠となりうる日々の調査ノートをすべて焼却処分した。いわば、そこで描かれていることがどの程度事実なのか、どの程度戯画化されているのかを決定できなくした。もちろん、彼女の調査は、法律に違反している貧困街の黒人たちを告発するものではないし、そのことが伝わったからこそ、彼女は仲間として6番街に受け入れられたのだろう。しかし、エスノグラフィ中に描かれていることの「証拠」がなければ事実性は揺らぐ。『オン・ザ・ラン』というエスノグラフィがアリス・ゴフマンの想像によって書かれたフィクションに過ぎないという論駁を否定することはできない。そのテキストを裏付けるものが消失したことで、フィクションとノンフィクションが混ざりあってしまっているからである。

現実に存在する人を書くとき、そしてその文章が広まり、その文章を誤読する人が出てきたとき、その誤読の豊かさを活かしながら、しかし「事実は違う」と主張することはどこまで有効だろうか。「事実」を知っているのはあなたではなく私なのだからという主張は、解釈の多様性を奪うことになってしまう。一方で、テキスト上に書かれていることは文字化された時点で多かれ少なかれフィクションであると言ってしまうのも、「本当にあったこと」を軽視してしまう。事実とフィクションを切り分けて、「あなたはそのように読んだのですね。でも事実は違います」と言うことは、ともすれば、事実とフィクションをあえて混同させる私小説の面白みも失わせてしまうように思う。

なんともうまく解決できる方向性が見えていないので、結論めいたことは言えないのだが、少なくとも、ごく少数の読み方だけでとどまってしまわないほうが望ましいとは思う。いろんな誤読があっていい。そしてそれはもっとたくさんの誤読にまみれたらいい。その中にもしかしたら、偶然、的を射た読み方があるのかもしれない。

前川真行. (2017). 公正と信頼のあいだ : アリス・ゴフマンのケース. RI : Research Integrity Reports, 2, 14–38.

新型コロナウイルス生活記録文集『新しい普通を生きる』

昨年度に引き続き、「エスノグラフィを書く」という授業で学生たちに書いてもらったオートエスノグラフィを文集にしました。ご興味のある方はご覧いただけますと幸いです。(公開にあたっては受講生たちに承諾を得ています)

https://r.binb.jp/epm/e1_200919_20082021164427

「はじめに」でいろいろと書きましたので、こちらにも載せます。

 新型コロナウイルスの感染拡大が収束しないばかりか、拡大のスピードはさらに増しつつある。昨年の今頃は第二波の最中であったが、今となっては遠い昔のようである。きっと来年の今頃になれば、一年前のことなどほとんど忘れてしまうのだろう。
 だからこそ、いまここで私たちが見聞きし感じていることを記録として残す価値は増しているように思う。どのような形であれ、記録として残しておけば、自分がたしかに生きていた証になる。
 本文集は大阪大学の一年生向けの授業である「学問への扉」の一つとして開講された「エスノグラフィを書く」の報告でもある。本講義は昨年度に引き続いて開講され、今年度も一七名の学生が受講してくれた。学部もバラバラ出身地もバラバラの一七名が一人ひとりの経験を自分の言葉にしている。
 昨年度もこのような形で文集を作ったのだが、昨年度のものと比較するといくつかの違いが見えてくる。その中でも特に私が興味深いと思ったのが、本年度の学生たちは新型コロナウイルス感染対策社会を「当たり前のもの」として捉えている点である。例えば、緊急事態宣言が出て授業がすべてオンラインに移行しても、そうなることは最初から織り込み済みであったかのように適応するのである。この適応能力の高さには、いまだにオンライン授業に慣れることのない私からしたら羨ましい限りであった。
 しかし、裏を返せば、今年の学生はコロナ禍ではない学生生活を上手くイメージできていないようでもあった。いわば、学生生活とは普通はこういうものだという想像が上手くできずにいるように思われた。学生の手記の中に「当たり前」とか「普通」という言葉が出てくるが、その言葉の意味するものが、少しずつ「コロナ禍での生活」になってきているように感じた。彼らにとっての「普通の生活」は、すでに「コロナと共生する生活」とイコールになりつつある。
 とはいえ、もちろんすべての学生がこのような感覚を持っているわけではない。一七人の手記には一七人の体験があり言葉がある。それらは一人ひとりに特有のかけがえのないものである。その一つ一つを漏らすことなく記録した本文集がいつかの誰かの目に留まればいいなと思う。

大阪大学大学院人間科学研究科 宮前良平