ロラン・バルトについての簡単なメモ

『ロラン・バルト -言語を愛し恐れつづけた批評家』(石川美子著, 2015)を読んだ。私自身、論文中にロラン・バルトの議論を用いたことがあり、彼の論考を読みはしたものの、彼の思想遍歴についてきちんと理解していなかった。本書は200ページあまりの比較的短い本でありながら、ロラン・バルトの思想のエッセンスに触れることができる良書であった。ここでは、私が特に重要と思った点を備忘録的にメモする。

意味の複数性から意味の潜在性へ(意味の中断)

ロラン・バルトは何よりも、あるモノの意味が一意に定められることに大いなる忌避を抱いていたようである。なぜならそこには専制的権威的で抑圧的な権力作用が働きうるからである。したがって彼は、意味の複数性を重視する。それはたとえば、一つの小説に多数の読み方があるように、意味を自由で開かれたものとする。ロラン・バルトの最も有名なテーゼの一つに「作者の死」がある。この概念もいわば、作者が狙ったもの以外の自由な読み方を許容しようというような意味合いで捉えても良いのだということがわかった(そもそもロラン・バルトは「作者の死」という概念をそれほど強く打ち出したわけでもないということはささやかな驚きだった。むしろ、フーコーの議論と(勝手に)並列されることで有名になってしまったようだ)。

「作者の死」というのは、卑近な例でいうと、小説の試験問題における読み取りの窮屈さを思えば理解しやすいかもしれない。たくさんあるはずの小説の読み方が、試験問題として出題された途端、ただ一つの「正答」に収束されてしまう。この窮屈さを乗り越えようとするとき、作者の意図に反する読み方もまたアリだよねという読者の自由さが必要となろう。このことがすなわち作者の死=読者の誕生であると私は理解した。

ここでのキーワードは、「意味の複数性」である。意味はつねに複数ある。それを唯ひとつに捨象してしまうことにこそ重大な過ちがあるはずである。

その後、バルトは、日本に目を向ける。そして、何度かの日本滞在を経て、俳句に着目する。俳句とは、まだ意味を帯びていない情景の描写である。ここには、さきほどの「意味の複数性」とは異なる形での、モノと意味の一対一対応への対抗がある。俳句において意味はまだ空虚である。そこにまだ意味は備わっていない。それゆえ、読み手それぞれの心象に寄り添うことができる。このようなことを「意味の潜在性」(本文中では「意味の中断」)と呼ぶこともできるだろう。

バルトはこのような俳句マインドを自らの創作にも活かそうとする。そうして彼は、断章という記述スタイルを確立する。できるだけランダムに並べられた断章は、その前後の繋がりが絶たれている。しかし、絶たれているからこそ読者はそこにあらゆるつながりを見出すことができる。それは、作者が意図していない意外なつながりもあるだろう。章ごとのつながりという、あるべきはずのものが断章形式によって剥奪されたとき、そこにはなかったはずのあらたな意味が生まれてくるのである。

喪と写真:そこにあるはずのものがそこにないこと

晩年のバルトの中心テーマは喪と写真だろう。前者は長年連れ添った最愛の母親の死に起因し、後者もまた亡き母の写真をもとに論が立てられていく。この2つのテーマはバルトにとって共通の軸があったはずである。それが「そこにあるはずのものがそこにないこと」である。

亡くなった人はこの世にいない。しかし、最愛の人であれば、まだこの世にいるかのように感ぜられる。しかし、振り返ってみてもそこにはいるはずがない。写真に写る人や物も、そこにはいない。まるでそこにいるかのような存在感があったとしても、そこにはいない。写真が示すのは、そこに写る人や物が「かつてそこにあった」ということのみである。そう考えれば、彼の写真論は、実質的に遺影論と言ってもいいのかもしれない。

そこにあるはずのものがそこにないこと。私はこのテーマの反転、すなわち、そこにいないからこそそこにあるかのように知覚される、ということを考えてみたい。いないからこそいる。これはたとえば森岡正博の脳死論で語られたような、脳死の人が生きていると死んでいるの間で揺れ動くさまに似ている。脳死の人の手の暖かさによって家族は、その人の存在を確かめることができる。しかし、もう動かないその体は、その人の不在を証明しているかのようである。被災地の写真は、まっさらな土地が移されているからこそ、そこにかつて街があったことをかえってありありと想起させる。

このような、不在であるがゆえに存在が知覚されるような状況を私は〈不在〉と呼んでいる。この概念は私なりのバルト読解から生まれたものである。

水に濡れた写真をお持ちの方へ

福山市立大学で教員をしています宮前良平と申します。

私は東日本大震災の被災地である岩手県の野田村というところで津波で流出した写真の返却活動を行ってきました。また、その後、いくつかの場所で写真洗浄の方法を学んできました。被災された方からの写真をお預かりし、洗浄する活動もしてきました。

もしも、このページをご覧の方やそのお知り合いの方に被災して写真が濡れてしまったという方がいらっしゃいましたら、以下の画像および動画をご覧いただければと思います。写真の応急処置についてまとめられています。どちらも被災地で活動してきた私の友人が作成したものです。

写真の洗浄に関してご質問がありましたら宮前(r-miyamae@fcu.ac.jp)までご連絡ください。

私たちの手で大事なお写真を洗浄することもできるかもしれません。少しでもお力になれれば幸いです。

(22/09/24古いバージョンのチラシを掲載してしまっていたので最新版に差し替えました)

被災写真救済ネットワークさんのHPに詳しい洗浄方法など充実していますので、ぜひ参考にしてください。上記のチラシは被災写真救済ネットワークさんからお貸しいただいています。

以下の動画は、神戸市を中心に活動しているおたいさまプロジェクトさんの動画です。こちらもわかりやすく洗浄方法について解説されています。

「チームエスノグラフィ論文」が載りました

日本質的心理学会が刊行している『質的心理学研究』の第21号に私を第一著者とした論文が載りました!ただ,学会員でないとまだ読めないみたいです。たぶん1年くらいで一般公開されるはずです・・・!

タイトルは「実践としてのチームエスノグラフィ」です。ふつうエスノグラフィは一人で調査し,一人で書き上げるものなのですが,被災地に救援に行くときは,複数人で行くことがあり,そこで起きたことをチームとしてまとめあげることについて書きました。

こうやって書くと,チームでエスノグラフィを書くほうが内容も豊かになるし,事実確認(というか,いわゆる「裏とり」)もしやすくなるんじゃないの?って思われる方もいるかもしれませんが,実際はそんなに簡単なものではなく,複数人で書くからこそ見える事実が異なってしまい,結局のところ何が「事実」なのかわからなくなってしまうという事態に陥ってしまいまいがちです。この,複数の視点が乱立することで,事実が同定できなくなってしまうということを,黒澤明監督の映画『羅生門』にちなんで「羅生門問題」とか「羅生門効果」と言います。実際,チームエスノグラフィは結構書きにくいので,これまでほとんど研究成果がありませんでした。

この論文では,チームエスノグラフィにつきものの羅生門問題を,「なぜ同じものを見ているのに別々のように見えてしまうのか」という形ではなく,「なぜ別々の記述をしているのに同じものを見ていると信じてしまうのか」と問いを反転させることで,羅生門問題を新たな問いに気づくためのステップとして捉え直しました(この部分は矢守克也先生の議論を大いに参考にしています)。そうやって考えれば,チームエスノグラフィは気づかれざる前提に気づき,新たな実践を駆動させてくれる手法でもあるのです。

もうひとつ,この論文は熊本地震の被災地である益城町でぼくが出会った方々への恩返しのつもりで書きました。どこの誰かもわからない大阪から来た何人もの学生を,片付けなどで大変な時期にも関わらず,優しく受け入れてくれたみなさんがいたからこそ書けた論文です。ほんとうにありがとうございます。

福山市立大学都市経営学部に着任しました!

2022年4月1日付けで福山市立大学都市経営学部に講師として着任しました。任期は無しです。「しっかり腰を据えて研究に打ち込んでください」とありがたいお言葉をいただきました。

「都市」「経営」どちらも自分には無縁のワードだと思っていました。僕がよく通っている場所は農村部と言ったほうがふさわしいところですし,そんな地域が僕は好きなのです。被災地でのボランティア活動は,全く非経営的なものです。そう思えば,自分にはむしろ都市経営というよりも「農村」「非経営」のほうが似合っているなと思います。そんな感じで変わらず実践に研究に教育に打ち込んでいきたいと思います!

大阪大学賞ダブル受賞しました

令和3年度の大阪大学賞を2つ受賞しました!

1つは,緒方洪庵というお酒を作ったことに関係していて,もう1つは被災地での写真返却活動に関係しています。そしてどちらも被災地から生まれた活動という点で共通しています。そのことがとても嬉しいです。

この受賞は僕一人の力では全く無く,たまたま目立つ位置にいた自分が代表者として受賞させてもらったのだなと感じています。なかなか陽の当たることの少ない活動を地道に一緒に続けてくれた仲間とこの賞を分かち合いたいと思います。

https://www.osaka-u.ac.jp/ja/guide/honors/campus-award/ouprize/ouprize_r3

空白の傷を聞くとは(浅田政志さんとの対談)

2021年9月6日に本屋B&Bの企画として写真家の浅田政志さんと対談しました。

それを本書編集者の高松さんが再構成してくれました!ありがたい!前後編あります!

https://note.com/sekishobo/n/n0bb00cff2d7a

https://note.com/sekishobo/n/neb515758bb14

この度刊行しました『そこにすべてがあった バッファロー・クリーク洪水と集合的トラウマの社会学』の刊行記念対談です。本書の中で宮前がちらっと書いた「空白の傷を聞く」というモチーフを浅田さん宮前の視点から考えてみるという対談となりました。

トークイベントを見た私の母からは「アンタ、浅田さんに助けられたね・・・」とのこと。どれだけ助けられたかを確かめてみてください!

『脱病院化社会―医療の限界』(イヴァン・イリイチ著・金子嗣郎訳)

著者のイヴァン・イリイチ(イリッチとも)は1926年生。人間が本来行ってきたことが専門化され自律性が奪われていくダイナミズムを描いた。彼のテーマは教育・交通と変遷し、本書においては医療システムが焦点化された。

本書『脱病院化社会』(原題:医療の限界)は、医療システムの成立・発展によって人間の自律が脅かされていくありさまを描き出した。とはいえ、現代的な意味での脱病院化は脱施設化を意味することが多く、地域における医療の拡大と捉えれば、病院の偏在化とも言え、本書における脱医療の思想とは若干異なる点にも注意したい。もちろん、脱病院化と脱医療化が重なることも多い(地域ケア・コミュニティナース?)が、それらも国の施策、つまり医療予算の削減として行われている場合があり、本書でのイリイチの主張である政治的参画とは厳密には異なる。

さて、本書では医療の発展による社会病理のことを「医原病」と名付け分析している。医原病は臨床的医原病、社会的医原病、文化的医原病と段階的そして不可逆的に発展する。それぞれについて見ていこう。

①臨床的医原病:医療によって病が引き起こされるというとき、一般的にイメージされるのがこの臨床的医原病だろう。これはたとえば、診断の間違いなど医師のミスによって生じた病や、薬の副作用のことである。言い換えれば、医者や薬がいなければ生じなかっただろう病気のことである。

②社会的医原病:医療の対象が拡大し、ありとあらゆるものが医療化された段階。医学によって病気とはなにか、健康とはどういう状態かが決定され、そこから逸脱する人は社会的に承認された医療システムによって病人とされる。また、必要以上の医療が提供され、予防医療や死の医療化によって、健康なときでさえ医療が必要となる。いわば、医療「への」疎外が社会的に生じる。治療のために病院に閉じ込められ、治療のために医療に自らの身体を差し出すことが社会的に妥当となる。このような段階において「患者」はもはや社会のマジョリティとなる。

③文化的医原病:臨床的医原病は医療ケアの結果生じる病であり、社会的医原病は人間が本来的に持ち合わせているはずの、自らの健康を維持し病を治癒する技法を医療制度が奪った段階である。イリイチは、医療制度の透徹によって奪われるのは治癒の技法だけではないと主張する。イリイチは、医療が発達した文化において痛みは取り除かれなければならないものとなった(pp.103-104)と主張する。そうすると、私たちは、痛みや苦しみを取り除くばかりで上手く付き合う術が失われる。つまり、医療化によって文化的に培われた受苦の技術(苦痛を受け入れる権利)が奪われるのである。スローガン的に言えば、「私たちから苦しみ、痛みを奪うな!」というのが、ここでのイリイチの主張である。この段階に至っては、医療は病気を治すことはあれ、人を癒やすことは困難になる(p.126)。文化的医原病は、罹患している状態を感知することさえ困難ゆえ、そこから抜け出すことは至難である。一種の「世界宗教」(p.161)と化す。

イリイチにとって健康とは何か。

一般的に考えれば、健康とは痛みや苦しみを抹殺し、乗り越えた状態のことだろう。しかし、イリイチの健康概念は、痛みや苦しみとともにある状態のことである。「健康であるということは[…]喜びと苦しみの中にあって生命を感じうることを意味している」(p.100)。したがって、痛みや苦しみ抜きの健康はイリイチの考えでは有り得ない。対して医療は、健康を促進するものというよりも痛みや苦しみを取り除く。「苦悩する人間の代わりに病気が医療体系の中心におかれ」る(p.126)。そのため、イリイチが分析する医療とは、病因を測定し診断しそれを取り除くシステムのことであり、それが達成された状態を一般的な「健康」と呼ぶが、このような状態はイリイチ的には(文化的)医原病と呼ぶだろう。

したがって、イリイチの比較的単純化された議論にひきつけて言えば、(文化的)医原病から抜け出すためには痛みや苦しみを取り戻す必要がある。

イリイチが痛みや苦しみを重視するのは、「健康と病気(受苦)は人間を動物から区別する現象である」(p.100)からである。(上述の通り、苦しみも含みこんだ上での生命の喜びをイリイチは健康と呼んでいるのであり、そういう意味で言えば、受苦もまた健康の一部分であるのだから、この文章における健康と病気(受苦)は、対立概念というよりも不可分な概念として並置されていると考えたほうがよさそうだ。)痛みや苦しみは言わば人間の条件である。それゆえ、痛みや苦しみを取り除くことは人間性の収奪なのである。医原病は、医療によって新たな病気になってしまったというしっぺ返し的な逆説以上に、医療によって人間が人間であることを奪われてしまうことを問うている。

  • 痛みによって私がかたどられるという話は、幻肢痛の議論を惹起させる。例えば、『記憶する体』(伊藤, 2019)で取り上げられている、ある人は、義手をつけることで幻肢痛が無くなってしまうと「腕を忘れる」ようで寂しいと語っている(pp.141-142)。痛みによって今はもうない腕が存在している。
  • さて、イリイチは痛みによって人間は人間たらしめられると論じているわけだが、痛みの性質の中でも特に私秘性に注目している。「同じ頭痛を悩まないかぎり、誰も「私の痛み」を私が意味するようには理解しない。同じ頭痛を悩むことは、彼が他人であるのだから不可能なことである」(p.108)。痛みはその痛みが当人にとっての痛みである以上、他人に伝達できない。そういう意味で痛みは個人的なものであり孤独であり、それゆえ他者との断絶である。しかし逆説的に、イリイチはここに他者とつながる可能性を見出している。「身体的痛みを他人に伝達することは不可能であるにもかかわらず、他人の身体的痛みを知覚することは基本的に人間的なことである[…]われわれが痛みの感覚を共有するという確実性はは特別なものであって、われわれが人間性を共有するという確実性より以上のものである」(p.109)。そしてこのような感覚を培うのが文化である。「痛みは、文化によって、言葉、叫び、動作で表現される問題に形づくられ、それらは痛みが体験されるまったくの混乱した孤独の中で分かちあいたいという絶望的試みとして、しばしば認められる」(p.112)。つまり、痛みという私秘的な現象は、文化によって他者と分かち合う技法が育まれる。痛みは孤独であるが、他者とつながりあう契機を持つ。痛みを取り除いてしまうことこそが真の孤独となるのである。
  • ここで、私は、「痛みの共同体」というようなテーマを思いつく。それは佐々木さんのメールにも書かれていた言葉であり、痛みの私秘性について考えたときに思い浮かんだ、渥美先生の「共感不可能性の共感」にも通ずるテーマであるように思う。あるいは、「〈不在〉の写真を見る/撮る」という論考で書いた私の思索の連なりに位置するかもしれない。私たちはそれぞれ、原理的に言えば自分にしか分からない痛みを抱えている。その痛みは、しかしながら、イリイチにしたがえば、他者とつながる回路にもなりうる。
  • 痛みを取り戻すということに価値があるとするなら、災害にも価値があるのかもしれないとも思う。災害はないにこしたことはないのか。しかし、そんな単純な話ではない。痛みというのがネガティブなものである以上、災害があったほうがいいというふうには口が裂けても言えない。ましてや、現実に被災して苦しんでいる人がいる以上、無責任なことは言えない。それでも、痛みによって共同体ができていくという発想には、どこかポジティブな響きもあり、そのポジティブさを丹念に言葉にしていかないといけないと思う。最近、私が取り組んでいる「集合的トラウマ」の議論も参考になるかもしれない。『Everything in its Path』の中でカイ・エリクソンは、コミュニティの破壊、共同性(コミュナリティ)の喪失によって集合的なトラウマが生じると論じているわけだが、この議論をひっくり返せば、トラウマが生じている範囲に共同体があったというふうにも捉えられる。実際にエリクソンはトラウマの定義を拡大していく中で、多くの人との連帯を見出そうとしている(邦訳pp.307-309)。そしてこの連帯は、傷ついた者同士の傷の舐めあいというような型通りで陳腐なものではなく、イリイチの言う文化のような人間の尊厳を守るものであるように思う。
  • 「ないにこしたことはない」という言葉からの連想で、以前読んだ立岩真也の論考「ないにこしたことはない、か・1」を再読した。この論考の主語は障害および障害者であるので、イリイチの議論からは飛躍もあるが、参考になればと思い、読み返してみた。立岩のしゃべるようにいくつも枝分かれしていく文体に手こずりながら読んでいくと、悪名高き倫理学者ピーターシンガーの端切れのいい文章が引用されていて目に飛び込む。

動き回るためには車椅子に頼らざるをえない障害者に、奇跡の薬が突然提供されるとする。その薬は、副作用を持たず、また自分の脚を全く自由に使えるようにしてくれるものである。このような場合、障害者の内のいったい何人が、障害のある人生に比べて何ら遜色のないものであるとの理由をあげて、その薬の服用を拒否するだろうか。障害のある人たちは、可能な場合には、障害を克服し治療するための医療を受けようとしているのだが、その際に障害者自身が、障害のない人生を望むことは単なる偏見ではないのだということを示しているのである。

(Singer 1993=1999, p.54)山内・塚崎(監訳)『実践の倫理[新版]』
  • シンガーが言うには、障害はないほうがいいでしょう、だって障害者自身も「奇跡の薬」があったら飲むはずだから、そしてこのことは障害については否定するかもしれないが、障害者を否定することにはならない、ということだ。もちろん、現実に「奇跡の薬」は無いし、障害とともにある世界だけがあるのだから、こういった思考実験は意味を持たないという批判もありうるし、私もシンガーにはそういう批判を差し向けたくなる。しかし、たとえば、「最初から障害のなかった世界」があったらそれはそれでいいのかもとつい思ってしまう自分がいる。たとえばシンガーの思考実験に付き合って、逆に「痛みもなく障害を持つことができる薬」があったら健常者(であるだろうあなた)は飲むかと問うてみたらどうだろうか。飲みたくないと思う人は、「奇跡の薬」を批判する論理を持てるだろうか。
  • この議論が災害の場合とどのように接続できるのかできないのか、今の段階で明瞭なイメージがあるわけではない。「最初から災害のない世界」をイメージすることができないからだ。それはあまりにSFすぎるし、たぶん、人間と自然の関係からすべてが現在の世界とは異なる世界だからだ。だから、障害学を参照にした部分は、もしかしたら議論としては行き止まりなのかもしれない。ただ、もしかしたらどこかで活かされるかもしれないと思い、備忘録的に書いておくことにした。

イリイチにおける自律とはなにか。

イリイチにおける自律概念は少し注意して読み取ったほうがよさそうである。すでに述べたように、イリイチは市民が健康や病についての自律性を医療制度から取り戻すべきであると主張する。しかしながら、彼の主張する自律は、自らをすべてコントロール化に置くというような発想とは若干異なる。たしかにイリイチは、本書を通して、生命が他律的に管理されることへの批判を展開している。

そういう意味で言えば、医療のお任せにならないように、健康であれ病気であれ自らの身体を引き受け直し、それらを自らがコントロールすることが、本書における自律であると言えるかもしれない。しかし、この理解水準ではイリイチの深みを引き出せないように思う。ここで注目したいのが38頁から39頁にかけて述べられた「苦悩、悲しみ、治癒が患者の外側のものにな」るというフレーズである。同様の記述は以下にも見られる。「それ(文化的医原病【筆者注】)は個人が現実に直面し、自己の価値を表現し、避けがたくもしばしば癒やしえない痛み、損傷、老衰、死を受け入れる能力を駄目にしてしまうのである」(p.99)。

これら苦悩や悲しみ、痛みは、私たちにとって避けがたくどうにもならないものである。しかしながら、このようなどうしようのないものが不意に襲ってくるかもしれないという他者性を引き受けることこそがイリイチの言う自律なのではないだろうかと思う。

  • ここで再び立岩真也の議論を思い出す。彼の主著である『私的所有論』の中で、自己とは誰かにとっての他者であるということによって存立しているというようなことを(私的所有論や自己決定論への論駁によって)述べている。そしてここで言う他者とは、コントロール不可能なものである。すでに述べた幻肢痛のいつ襲ってくるかわからない痛みや、障害によって思うように動かない身体、人生において突然やってくる苦しみなどである。立岩が身体について述べる際にしばしば用いる「不如意」という言葉はまさに他者性を意味している(はずである)。
  • そして、この不意に襲ってくるものとして災厄を考えることが重要だと思う。科学の進歩によって災害の発生はある程度予期予測されるようになったが、しかしながら、災厄は私たち社会にとって不如意である。だから、そのような不如意の災害を社会としてコントロールしつくしてしまうのではなく、不如意であるからこそ、自律が可能になるのではないかと思う。
  • そう考えれば、さきほどの「災害はないにこしたことはないのか」という問いにも少しは答えられそうだ。災害があることによって、その不確定性・不確実性・偶有性を受け入れることで社会は自律していくのかもしれない。受け入れるという技法の中に「痛みの共同体」のようなものも含まれるように思う。

事実と誤読

本を読んでいると、さまざまな読み方をしたくなる。それが優れた書物であるならなおさらであるし、逆に言えば、多様な読みに開かれている本こそが優れているのだとも思う。

だから、著者が想像もしていない誤読というものもある。テキストをどう読んでもそうは読めないだろうという誤読もある。でも、そういった誤読も、読みの可能性を広げるという意味でよいことであるし、否定されるべきではないだろう。もちろん、「正しい読み方」というものもあるだろうが、それを著者をはじめとする誰かによって強制されてはいけないと思う。

そんなことを考えたのは、桜庭一樹さんの小説『少女を埋める』にまつわる騒動を知ったからだ。『少女を埋める』は桜庭さんが経験したことをもとに書いた私小説の味わいがあり、主人公(「冬子」)の名前こそ違えど、小説の舞台となっているのは桜庭さんの出身である鳥取県だし、桜庭さんの作品である『GOSICK』や『赤朽葉家の伝説』が主人公の著作として描かれている。本小説を書評家の鴻巣友季子さんは「ケア」の小説として読んだらしい。らしい、というのはその書評がオンライン上では朝日新聞の有料会員でないと読めないことになっており、直接読めていないからだ。そして、その書評内には、冬子の母が父(母からすれば夫)を介護中に虐待したのだと紹介されている。しかしながら、著者の桜庭さんは、このような「事実」は無いとして、書評の修正を求めている。ということのようだ。(詳しくは以下のまとめがわかりやすいかもしれない)

https://togetter.com/li/1765531

この小説がまったくの創作であったのなら、どんな牽強付会な読み方をしていても良いだろう。しかし、この議論において問題なのは、『少女を埋める』という小説が一種の私小説として書かれており、読む人が読めばモデルが誰なのか一発で分かる点にある。すなわち、書評で「虐待があった」と紹介してしまうことは、単なる読み間違いというテキスト上の問題で解決されず、「本当に」虐待があったという事実レベルでの誤認を生みうるという点に、この対立の核がある。(テキストをきちんと読めば介護中の虐待はなかったとしか読めないという意見や、あらすじと批評の区別に関する問題点とか、そもそも文芸批評の媒体自体に問題構造があって・・・というような話もあるのだが、ここでは立ち入らない)。

私が思うのは、本小説が私小説であることのナイーブさをどのように捉えるべきなのかということを考えておかないといけないということである。私小説として発表するということの覚悟をどのように持つべきなのか、そしてその覚悟を読者はどのように受け取るべきなのかということである。

先に断っておきたいのは、『少女を埋める』という小説には、著者である桜庭さんの配慮が微に入り細に入りなされているということである。父の看病(それは結果的には看取りの旅になってしまうのだが)のために鳥取に帰省した主人公の冬子は、鳥取に暮らす親戚たちとも会うのだが、そこで、ともすれば女性蔑視と受け取られかねない、というか文字だけ見れば明らかに差別的な発言(「女の子がりこうだと困る」みたいな)を聞いている。しかしながら、冬子は、そういった差別的な発言が、田舎の因習的な構造によってなされていること、またそういった発言もよくよく考えれば冬子のためを思ってなされていることを丁寧に記述する(小説全体のモチーフとして用いられる「人柱」が効いている)。それでもやはりそういった差別は社会的に許されるべきではないことも小説内で何度も繰り返されている。このバランスをとるためにどれだけの工夫がなされているのか。私には到底できないほどの配慮である。

また、小説の中で繰り返し述べられる「記憶の危うさ」についても、小説に深みを与えていると同時に、ここで書かれていることは著者である私の思い込みに過ぎない部分もあるというエクスキューズとして機能することもできて、小説内に登場している現実の人びとを傷つけないための安全機構が何重にも張り巡らされている。さらにさらに、意図して書き落としていると思われる箇所が何箇所もあり、その書き落としこそが本小説の主題を支えているのだから、すごい。書かないことによって、登場人物を守り、小説としての輪郭を描いているのである。

とはいえ、やはり、小説として世に出した以上、読者には誤読する自由はあり、そういった誤読に著者のみならず小説に登場させた人物までさらされてしまうことは避けられない。私が普段書いているエスノグラフィもまた、そういった意味で私小説と共通している。エスノグラフィに書かれるのは基本的には現実に起きたことである。だから、登場する人もみな実際に私が出会った人たちであるし、いくら匿名化していても、読む人が読めば、本人を特定できてしまう。

そういった文章の書き手として、私の意図で文章内に登場させてしまった人たちを、誤読から守りきる覚悟を持たねばならないと思った。それはものを書く人間としての最低限の倫理であると。

そう思ったのは、アメリカの社会学者であるアリス・ゴフマンについての論文(前川, 2017)を読んだからかもしれない。この論文では、アリス・ゴフマンの書いたエスノグラフィー『オン・ザ・ラン』についての内容およびその「場外乱闘」についてとてもよく整理されている。『オン・ザ・ラン』の舞台はフィラデルフィアの貧しい黒人街区「6番街」。そこにアリス・ゴフマンは、6年間住み込みながら、フィールドワークを行った。それは参与観察と呼ぶにはあまりにも現地での暮らしと一体化したものだった。6番街の若者と「デート」をしたり、ときには法律すれすれの行為もしていたらしい。また、6番街で生活をともにした長年の仲間チャックがギャングの抗争の結果銃殺されるといったこともあったとのことである。

彼女のエスノグラフィには、6番街を中心に行われた数々の違法行為が描かれているが、彼女は調査対象者の保護のため、その証拠となりうる日々の調査ノートをすべて焼却処分した。いわば、そこで描かれていることがどの程度事実なのか、どの程度戯画化されているのかを決定できなくした。もちろん、彼女の調査は、法律に違反している貧困街の黒人たちを告発するものではないし、そのことが伝わったからこそ、彼女は仲間として6番街に受け入れられたのだろう。しかし、エスノグラフィ中に描かれていることの「証拠」がなければ事実性は揺らぐ。『オン・ザ・ラン』というエスノグラフィがアリス・ゴフマンの想像によって書かれたフィクションに過ぎないという論駁を否定することはできない。そのテキストを裏付けるものが消失したことで、フィクションとノンフィクションが混ざりあってしまっているからである。

現実に存在する人を書くとき、そしてその文章が広まり、その文章を誤読する人が出てきたとき、その誤読の豊かさを活かしながら、しかし「事実は違う」と主張することはどこまで有効だろうか。「事実」を知っているのはあなたではなく私なのだからという主張は、解釈の多様性を奪うことになってしまう。一方で、テキスト上に書かれていることは文字化された時点で多かれ少なかれフィクションであると言ってしまうのも、「本当にあったこと」を軽視してしまう。事実とフィクションを切り分けて、「あなたはそのように読んだのですね。でも事実は違います」と言うことは、ともすれば、事実とフィクションをあえて混同させる私小説の面白みも失わせてしまうように思う。

なんともうまく解決できる方向性が見えていないので、結論めいたことは言えないのだが、少なくとも、ごく少数の読み方だけでとどまってしまわないほうが望ましいとは思う。いろんな誤読があっていい。そしてそれはもっとたくさんの誤読にまみれたらいい。その中にもしかしたら、偶然、的を射た読み方があるのかもしれない。

前川真行. (2017). 公正と信頼のあいだ : アリス・ゴフマンのケース. RI : Research Integrity Reports, 2, 14–38.

新型コロナウイルス生活記録文集『新しい普通を生きる』

昨年度に引き続き、「エスノグラフィを書く」という授業で学生たちに書いてもらったオートエスノグラフィを文集にしました。ご興味のある方はご覧いただけますと幸いです。(公開にあたっては受講生たちに承諾を得ています)

https://r.binb.jp/epm/e1_200919_20082021164427

「はじめに」でいろいろと書きましたので、こちらにも載せます。

 新型コロナウイルスの感染拡大が収束しないばかりか、拡大のスピードはさらに増しつつある。昨年の今頃は第二波の最中であったが、今となっては遠い昔のようである。きっと来年の今頃になれば、一年前のことなどほとんど忘れてしまうのだろう。
 だからこそ、いまここで私たちが見聞きし感じていることを記録として残す価値は増しているように思う。どのような形であれ、記録として残しておけば、自分がたしかに生きていた証になる。
 本文集は大阪大学の一年生向けの授業である「学問への扉」の一つとして開講された「エスノグラフィを書く」の報告でもある。本講義は昨年度に引き続いて開講され、今年度も一七名の学生が受講してくれた。学部もバラバラ出身地もバラバラの一七名が一人ひとりの経験を自分の言葉にしている。
 昨年度もこのような形で文集を作ったのだが、昨年度のものと比較するといくつかの違いが見えてくる。その中でも特に私が興味深いと思ったのが、本年度の学生たちは新型コロナウイルス感染対策社会を「当たり前のもの」として捉えている点である。例えば、緊急事態宣言が出て授業がすべてオンラインに移行しても、そうなることは最初から織り込み済みであったかのように適応するのである。この適応能力の高さには、いまだにオンライン授業に慣れることのない私からしたら羨ましい限りであった。
 しかし、裏を返せば、今年の学生はコロナ禍ではない学生生活を上手くイメージできていないようでもあった。いわば、学生生活とは普通はこういうものだという想像が上手くできずにいるように思われた。学生の手記の中に「当たり前」とか「普通」という言葉が出てくるが、その言葉の意味するものが、少しずつ「コロナ禍での生活」になってきているように感じた。彼らにとっての「普通の生活」は、すでに「コロナと共生する生活」とイコールになりつつある。
 とはいえ、もちろんすべての学生がこのような感覚を持っているわけではない。一七人の手記には一七人の体験があり言葉がある。それらは一人ひとりに特有のかけがえのないものである。その一つ一つを漏らすことなく記録した本文集がいつかの誰かの目に留まればいいなと思う。

大阪大学大学院人間科学研究科 宮前良平

翻訳が出ます『そこにすべてがあった』

2021年の8月中旬頃に本が出ます。

https://www.sekishobo.com/eiip/

特設サイトから紹介文を以下に引用します。

1972年2月26日、大雨で鉱山ゴミのダムが決壊し、アメリカ・ウエストヴァージニア州の炭鉱町バッファロー・クリークは、黒い水にのみこまれた。死者125人、住民の8割が家を失った未曾有の人災は、コミュニティの崩壊をもたらし、生存者たちの心に深いトラウマを残しました。

本書は、被災者への膨大なインタビューと綿密なフィールドワークで、被災地における「集合的トラウマ」の輪郭を描き出した古典として、約50年もの間、読み継がれています。

訳者は、大阪大学大学院で災害学を学んだ、翻訳開始当時20代の研究者たち。被災地で活動する中で、非当事者としてのかかわりに悩んでいたとき本書に出会い、被災者の空白を丁寧に読むことで聴ける声があると気づきます。

東日本大震災から10 年。50 年前のアメリカの災害被災者の記録が、コロナ禍の現代を生きる私たちに訴えかけるものとは。

台風シーズンを前にぜひ手にとっていただきたい、示唆に富む一冊です。

50年前に書かれた本とは思えないほど、今の日本の状況のようです。ぜひお買い求めいただけますとさいわいです。

https://yukatakamatsu001.stores.jp/items/60daa86a0850a06435fb89a1

大山顕『新写真論』

SNS時代の写真論について書かれたものである。著者は、『工場萌え』などでおなじみ、写真家の大山顕さん。ときおり、カメラの技術的進化にも触れながら、論じているのがおもしろかった。写真が人間の認知を変えたのだというような写真決定論が勇み足な箇所も見受けられたが、全体的に面白く読めた。

本書の主張の要点は、写真の変容を「撮影者×被写体×鑑賞者」の3軸から捉えてみようということである。そうは明示されていないが、そうやって読むと、いささか断片的な各章のつながりが明確になるように思う。
あえて、単純化して表にまとめると、以下のとおりである。

撮影者被写体鑑賞者
かつての写真ノーバディ(非人称的存在・幽霊)特に限定なし(家族や風景がメイン)家族等に限定
現代の写真〈私〉私・シェアされるもの不特定多数の他者・AI
写真の変容

以下、撮影者、被写体、鑑賞者の順で論をまとめていきたい。

①撮影者について

 カメラは非人称的なものだった(p.150-)。写真を見て、私たちは撮影者が誰であるかを気にしない。たとえば集合写真は、その場にもう一人写っていない人間(=撮影者)がいるということを消去することによって成り立つ。いわば、撮影者は「幽霊」という非人称的な存在であった(p.82)。同様にカメラも、その存在が明確に意識されることはない透明なメディアであった。いわば、小説における地の文的な「ゼロ人称」であった(p.164)。しかしながら、自撮りの登場によって、撮影者は対象者と同一になり、撮影者の存在が顕わになった。そして、写真をスマホで見ることによって、撮る媒体と見る媒体が同一化し、カメラの存在が可視化されるようになった。
 写真の撮影者が顕わになるということは、写真を撮るという行為が、何かを伝えることではなく、そこに自分が存在していたことを証明することに変容していった。「レストランで料理を撮ったり、旅行に出かけて風景を撮るのも、ほとんどすべての撮影は経験を確かめるための行為なのではないか」という指摘は興味深い。それはきっと、撮影された写真をSNSにアップすることで衆目に触れさせるということと地続きなのだろう。それは、SNSの批評で時に言われる「自己愛の承認」というよりも、もっと人間が生きるうえで根本にある「自己存在の承認」の集合的なバージョンなのではないだろうか。
 また、私たちはもともと俯瞰したイメージで自分を捉えることができている(抑圧身体、本書で紹介されている概念で言えば「四人称」)。しかし、近代のカメラの登場によって、FPS的な一人称視点こそが人間の視点であると思うようになった。「「見る」という行為を個人のものだと思うようになった」(p.157)わけだ。しかし、現代においては、ありとあらゆる視点からの写真が撮られ、あるいは衛星写真などの遠近法の狂ったのっぺりとした写真が増えることで、知覚は再び集合化されるようになった。それは、本書には明示されてはいないが、写真による集合的な視覚文化のひとつと言えるだろう。
 写真は歴史において長らく「父」が撮るものであったという指摘も面白い(p.191-)。そこには、父権主義が透けて見える。それに対して、現代は、写真撮影が個人化し民主化された時代であるとも言えるだろう。一家に一台から一人一台へというカメラの普及は、技術的な進歩以上に、社会的な変化を誘発しているというのは言い過ぎだろうか

②被写体について

 被写体の変容について重要なことの第一は、自撮りによる私の撮影である。それはすでに述べた通りである。現代の写真は、自撮りの登場によって撮影者と被写体を同一化させてしまった。
 被写体の変容について、自撮りの登場以外で重要なことは、シェアされるための被写体が好まれるようになったということである。その筆頭が猫である(p.214-)。大山が指摘している通り、「現代の写真論は、もはや猫を避けて通ることができない」(p.215)。しかし、その写真はどれも同じようなものばかりでオリジナリティが無い。しかしながら、その定番化された画像こそが、毎日のシェアをしたくなるという人間の欲求に応えているのである。また、猫は犬と比べて誰かの所有物という感じがしないからシェアに向いているのではないかという指摘も首肯できる。
 それに対して、かつての写真の被写体の題材として本書が取り上げているのが「心霊写真」である。もちろん当時(19世紀後半から第二次世界大戦まで)も、心霊写真は科学的に否定され続けてきた。それでもなお心霊写真が重宝(心霊写真専門の写真家もいた)されていた理由は「心霊写真は、一部の科学者たちを除けば、心霊の存在の証拠というよりも死者の思いをなんとかこの世に導入したいという人々の呪術的欲望の産物だったと言えるだろう」(長谷, 2004, p.78)。いわば、家族を亡くした遺族にとって「写真が証明すべきなのは家族の愛の存在であって、霊の存在ではなかった」(p.77)のである。現代は、心霊写真が撮れなくなってしまった時代、つまり、心霊写真によって故人とのつながりを維持することができなくなってしまった時代ということもできるだろう。

③鑑賞者について

 かつて写真は、家族・親戚あるいは知人が鑑賞者であった。むしろ、写真というプライベートなものを、それ以外の人が目に触れる機会は無かった。いやむしろ、SNS以前の写真は、ほとんど誰の目にも触れることは無かった。多くても数人にしかみられることは無かったのだ。そういう意味で、SNS時代の写真の大きな特徴は、鑑賞者の爆発的な増加である。先ほどの猫の話も、猫の写真自体がよくできているのではなく、それをシェアする人が多いことによって、写真の価値を決定づけている。大山が端的に述べているように「写真のありかは撮影者から閲覧者へ移行した」(p.111)のである。
 そして、もう一点、大山が現代の写真の鑑賞者として取り上げているのはGoogleなどに代表されるAIである。膨大に撮られるようになった写真の一枚一枚を私たちが見ることはもはや不可能になりつつある。その中で、AIだけがすべてを見て、アルゴリズムを用いて私たちに数枚ずつサジェストしてくれる。このとき選ばれた写真は私たちの「思い出」だろうか。「過去」だろうか。もはやそのような言葉では言い表せない状況になっている。それは、写真を撮るという行為自体が、データを保存し、アルゴリズムに従ってAIに取り出してもらうという行為を内包している。大山は、こんにちの写真を以下のように定義づけている。「こんにちの写真とは、写真それ自体のシステムのことである。写真は人間のものではなくなったのだ。こんにちの写真とは、人間のためのものではなくなった、それ自体のシステムのことである」(p.264)

 最後に、大山が述べた写真はシステムであるということの意味について考えてみたい。ここで重要なのは、かつての写真は、撮ること自体が目的であったということである。たとえば、大山は、家族写真について論考を深める際に、「写真館の本質は優秀な舞台設定サービスだった」(p.189)と述べる。そこで撮られた写真がどういうものなのかというよりも、写真館という整えられた舞台で家族写真なるものを撮るということ自体が家族写真を家族写真たらしめている。また、大山はSNS以前の写真について「ほとんど人に見られなかった」(p.225)ということが重要であると指摘している。つまり、SNS以前の写真は、見られることではなく、撮ること自体に意味があったのだ。何かのために撮るのではなく、撮るために撮るのが少し前の写真だった。

 それがいまや写真は見るためのものに変容してきていると結論づけるのは早計である。それだと、写真は大衆化されたという言わばすこし古い結論にしかならない。ここで大山が「システム」と述べたことに留意する必要がある。つまり、現代の写真は、再び、誰の目にも触れられなくなっている。それは、SNSなどでの写真の氾濫がじつはもっと膨大な人の目に触れられていない写真のごく一部にすぎないということを示している。僕たちのスマホに撮りためてある膨大な数の写真は、誰の目にも留まらない。撮ったはずの自分でさえも見返すことのない写真ばかりである。そういった写真を見るのはAIである。AIが見るために写真は撮られる。そこでの人間の役割はもはや「AIによって選別されるべき写真を撮る撮影係」でしかない。あるいは、監視社会の進展によって、ありとあらゆる世界が画像として記録されるようになれば、撮影係としての人間さえも不要になるかもしれない。このような、撮影も選別も現像もそして鑑賞さえもAIが行うようなシステム、つまりAIによるAIのための写真の生産構造こそが、大山が述べる「写真システム」である。

 かつての写真は、人間がそれを撮っているということを不問にすることで成立してきた。それは、何が写っているのかということが重要だったからである。いわば、写真の被写体主義の時代であった。しかしながら、写真が大衆化することで、何を撮ったのかではなく、誰が撮ったのかということが重要になってきた。それは、スマホに代表されるような技術進化による自撮りの登場の影響である。ここにおいて、写真の撮影者主義の時代が生まれた。そして、SNS時代においては、誰が何を撮ったのかではなく、誰がそれを見ているのかということが意識されるようになった。いいねの付きそうなテーマが重視されるようになった。これは、写真の鑑賞者主義の時代といってもいいだろう。そして、最終的には、誰も撮らず、誰も写らず、誰も見ない写真の時代がやってきつつあるだろうというのが大山の見立てである。この写真のシステム主義=人間不在主義が到来したとき、写真はいったいどのような意味を持つようになっているのだろうか。本書の読者の一人として大きな宿題をもらった。

撮影者被写体鑑賞者
被写体主義ノーバディ家族などの撮られるべきもの家族など限定された人びと
撮影者主義私(自撮り)不特定多数の他者(SNS)
鑑賞者主義ノーバディシェアされやすいもの不特定多数の他者(SNS)
システム主義人間・AIあらゆるものAI

文集『パンデミックを歩く』について

2020年度前期の授業で、大学1年生に新型コロナでの自粛期間中の生活について、オートエスノグラフィックに記述してみようという課題を出した。その出来があまりにもよかったので、文集化したのだが、より多くの人の目に触れてほしいという願いをこめてインターネットにも公開する。以下のURLから閲覧可能である。

文集のすべてが公開できたわけではない。プライベートなことを書いてくださいとお願いしたので、知り合いに見られたら困るという学生もいる。だから、ここで公開できたのは、ほんの一部にすぎないことをあらかじめ了承してほしい。逆に言えば、公開されていない文章もまた本文集の大事な一部である。

https://r.binb.jp/epm/e1_158115_03092020105328/

ついでに、私が書いたまえがきも載せておく。

 二〇二〇年がこのような年になると予測できた人はいないだろう。それくらい、新型コロナウイルス(COVID-19)の猛威は未曽有であった。

 新型コロナウイルスは、わたしたちの問題である。わたしたちの生活は、修正を余儀なくされ、何の権限があってか知らないが、誰かが勝手に「新しい生活様式」を制定するにまでいたっている。そこからもはや逃れることができない。感染の有無にかかわらず、ありとあらゆる人が少なからぬ影響を受けている。

 しかしながら、この新たな生活を粛々と営む一市民の声は、いともたやすく忘れ去られてしまう。変化があまりに急激すぎて、四月や五月に自分が何を考え、どのように生活していたのかについてほとんど思い出すことができない。未来のことを語る前に、現在のことをしっかりと記録しておくことが必要だ。(ちなみに僕はウィズコロナという言葉が嫌いだ。「コロナ」がウイルスのことを指しているのか、蔓延した社会のことを指しているのかが不明瞭だからだ。そして、これは偏見なのかもしれないが、ウィズコロナと嬉しそうに語る人たちは、現状の社会を変える「口実」としてコロナと言っているに過ぎないように感じてしまう)。

 本文集は、二〇二〇年度に大阪大学で一年生向けに開講した「学問への扉」の中で、人間科学研究科の教員である宮前良平が担当している「エスノグラフィを書く」という授業の受講生一七名が書いた生活の記録をまとめたものである。テーマは多岐にわたる。「マスク」や「トイレットペーパーの買いだめ」というものもあれば、「自粛生活中の憂鬱」など、ほとんど一度も登校することなく自粛生活を余儀なくされた大学一年生のありのままが描かれている。

 それぞれの文章は、オートエスノグラフィという方法論を基盤において書かれているが、方法論に固執しているわけではないので、最終的には学生ひとりひとりの自由なやり方に任せた。その中でも、僕は、一教員として一点だけ注意を促した。それは、「自分が経験したことを具体的に書くことを徹底すること」である。これは僕のポリシーなのだが、中途半端に一般化した文章よりも、とことん自分のことを具体的に書いた方が伝わることが多いと思う。一般化は学問において強力な手段ではあるが、かえって言葉が薄まってしまうこともある。まるで、全戸配布されたあのマスクのように。そうではなく、具体的に生きられた経験を煮詰めて「結晶化」することにも学術的意義があると考えている。自己から発せられる共役不可能な言葉にこそ、他者と理解しあえる回路が埋め込まれているのである。この挑戦が成功しているかどうかは、実際に本文集を読まれた方に判断していただければ幸いである。

 本文集は、ほとんど登校できなかった学部一年生たちの貴重な記録である。この新型コロナウイルスの騒ぎがいつまで続くかは定かではないが、本文集がそれぞれの人生の一ページとして長く記憶されることを祈っている。

大阪大学大学院人間科学研究科 宮前良平