日常記憶地図@双葉町(質的心理学会企画)に参加して

福島県の浜通り相双地区にある双葉町は、震災前は7000人ほどの人口の町だった。南部に隣接する大熊町にまたがって東京電力福島第一原発があり、東日本大震災が起きた翌日の3月12日には全町避難がなされた。町民の定住が許可されたのが、2022年。つまり10年以上もの間、町民は一時帰宅以外には生まれ育った町に滞在することはほとんどできなかった。県内のみならず、全国に町民は避難した。役場機能も町外へ移転し、埼玉県加須市やいわき市で行政業務を行っていた(ちなみに今も双葉町役場いわき支所は残っている)。現在双葉町で生活をしているのは約100名ほど。家族を町外に残し単身赴任されている方も多い。震災を契機に移住者も多く、100人のうちの6~7割は移住者なのではないかとのことだった。役場職員も新しく採用した若手は、9割方町外出身者のようだ。また、町内には小学校をはじめ学校がない。(ふたば未来学園は広野町にある)

8月17日に日本質的心理学会が主催で、双葉町で日常記憶地図を行ってみようという企画が行われた。日常記憶地図とは、デザイナーのサトウアヤコさんが発案した、地図をもとに話をし、相手の話を聞き、共有する手法である。さまざまなやり方はあるが、たとえば小学校高学年ごろの生活世界の地図を用意し、そこに家や学校やよく行った場所などをプロットし、よく通った道を線で引き、それをもとに日常の記憶を想起する。私自身、サトウさんの手引きで日常記憶地図を体験したことがあるのだが、いままで誰かに話したことないような些細な出来事まで想起できて、非常に心地よかった。

これを双葉町でやるというのが、今回の企画の趣旨である。双葉町は、10年以上もの間、いわゆる復興から取り残された町である。町のいたるところに解体を待つ民家が残されている。町のいたるところに崩壊したままの建物が残されている。空き地となった場所にかつては何があったのか、震災前を知らない者には想像さえすることができない。それは震災後に新しく採用された役場若手職員も同様のようだ。なので、今回は、双葉出身の役場ベテラン職員が日常記憶地図を通して、かつての双葉町の様子を若手職員に話すということを主な目的とした。

17日の日常記憶地図WSで私は、長塚出身の方のお話をうかがった。その方は、長塚の商店街の出身で、すべて徒歩圏内の小学校中学校高校と地元の学校に通い、東京の大学を卒業後、双葉に戻ってこられた方である。地図はもともとは道路地図を用意してもらっていたのだが、役場の方の機転で住宅地図も用意してもらった。そのことが良かったのかもしれない。WSが始まると、「〇〇さんのところで~~」というような固有名と結びついた記憶が数々と語られた。また、地図の中の道を目で追いながら、「ここに行ってここに行ってその帰りにここに寄って~~~」のような地図上の道に沿った想起もなされていた。このあたりは、森直久著『想起 過去に接近する方法』に紹介されているナビゲーション実験との相似を感じた。地図もなく「昔の双葉の様子を教えてください」というインタビューではきっと語られない些細な(であるがゆえに重要な)日常の記憶が溢れ出ていたように思う。

翌18日は、前日お話していただいた方とともにまち歩きを行った。私には空き地にしか見えないところを指差し、「ここの商店は酒屋さんなんだけど、ラーメンがすごく美味しくて」と話してくださる。「ここには〇〇があった」というような、過去形の語りではなく、まさにいまそこにそれが見えているかのような現在形の語りであった。写真で撮ってしまえば、何もない空き地であっても、かつてを知る人にとっては、そこは空き地ではなく、〇〇商店とか駄菓子屋さんとか貸本屋とか中学校の場所なのだ。環境が二重化しているような感覚だった。たとえばVRなどで昔の町並みを再現しましたというやり方ではきっと想起されないような語りがあったように思う。

私は、こういった語りを聞いて、なにか双葉の過去を知れたという知的好奇心よりも、いまはない過去のさまざまな証を分け持つことで、それをせめて記憶からは消去させない責任の感覚のようなものを感じている。誰もの記憶からも消え去ったとき、それはほんとうにこの世から姿を消すことになるのだろう。だから、記憶を分け持つことの重要性を感じた。

この取り組みは、11月に開催される質的心理学会大会で報告される予定となっているようだ。どういった議論になるのか楽しみだ。

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