大山顕『新写真論』

SNS時代の写真論について書かれたものである。著者は、『工場萌え』などでおなじみ、写真家の大山顕さん。ときおり、カメラの技術的進化にも触れながら、論じているのがおもしろかった。写真が人間の認知を変えたのだというような写真決定論が勇み足な箇所も見受けられたが、全体的に面白く読めた。

本書の主張の要点は、写真の変容を「撮影者×被写体×鑑賞者」の3軸から捉えてみようということである。そうは明示されていないが、そうやって読むと、いささか断片的な各章のつながりが明確になるように思う。
あえて、単純化して表にまとめると、以下のとおりである。

撮影者被写体鑑賞者
かつての写真ノーバディ(非人称的存在・幽霊)特に限定なし(家族や風景がメイン)家族等に限定
現代の写真〈私〉私・シェアされるもの不特定多数の他者・AI
写真の変容

以下、撮影者、被写体、鑑賞者の順で論をまとめていきたい。

①撮影者について

 カメラは非人称的なものだった(p.150-)。写真を見て、私たちは撮影者が誰であるかを気にしない。たとえば集合写真は、その場にもう一人写っていない人間(=撮影者)がいるということを消去することによって成り立つ。いわば、撮影者は「幽霊」という非人称的な存在であった(p.82)。同様にカメラも、その存在が明確に意識されることはない透明なメディアであった。いわば、小説における地の文的な「ゼロ人称」であった(p.164)。しかしながら、自撮りの登場によって、撮影者は対象者と同一になり、撮影者の存在が顕わになった。そして、写真をスマホで見ることによって、撮る媒体と見る媒体が同一化し、カメラの存在が可視化されるようになった。
 写真の撮影者が顕わになるということは、写真を撮るという行為が、何かを伝えることではなく、そこに自分が存在していたことを証明することに変容していった。「レストランで料理を撮ったり、旅行に出かけて風景を撮るのも、ほとんどすべての撮影は経験を確かめるための行為なのではないか」という指摘は興味深い。それはきっと、撮影された写真をSNSにアップすることで衆目に触れさせるということと地続きなのだろう。それは、SNSの批評で時に言われる「自己愛の承認」というよりも、もっと人間が生きるうえで根本にある「自己存在の承認」の集合的なバージョンなのではないだろうか。
 また、私たちはもともと俯瞰したイメージで自分を捉えることができている(抑圧身体、本書で紹介されている概念で言えば「四人称」)。しかし、近代のカメラの登場によって、FPS的な一人称視点こそが人間の視点であると思うようになった。「「見る」という行為を個人のものだと思うようになった」(p.157)わけだ。しかし、現代においては、ありとあらゆる視点からの写真が撮られ、あるいは衛星写真などの遠近法の狂ったのっぺりとした写真が増えることで、知覚は再び集合化されるようになった。それは、本書には明示されてはいないが、写真による集合的な視覚文化のひとつと言えるだろう。
 写真は歴史において長らく「父」が撮るものであったという指摘も面白い(p.191-)。そこには、父権主義が透けて見える。それに対して、現代は、写真撮影が個人化し民主化された時代であるとも言えるだろう。一家に一台から一人一台へというカメラの普及は、技術的な進歩以上に、社会的な変化を誘発しているというのは言い過ぎだろうか

②被写体について

 被写体の変容について重要なことの第一は、自撮りによる私の撮影である。それはすでに述べた通りである。現代の写真は、自撮りの登場によって撮影者と被写体を同一化させてしまった。
 被写体の変容について、自撮りの登場以外で重要なことは、シェアされるための被写体が好まれるようになったということである。その筆頭が猫である(p.214-)。大山が指摘している通り、「現代の写真論は、もはや猫を避けて通ることができない」(p.215)。しかし、その写真はどれも同じようなものばかりでオリジナリティが無い。しかしながら、その定番化された画像こそが、毎日のシェアをしたくなるという人間の欲求に応えているのである。また、猫は犬と比べて誰かの所有物という感じがしないからシェアに向いているのではないかという指摘も首肯できる。
 それに対して、かつての写真の被写体の題材として本書が取り上げているのが「心霊写真」である。もちろん当時(19世紀後半から第二次世界大戦まで)も、心霊写真は科学的に否定され続けてきた。それでもなお心霊写真が重宝(心霊写真専門の写真家もいた)されていた理由は「心霊写真は、一部の科学者たちを除けば、心霊の存在の証拠というよりも死者の思いをなんとかこの世に導入したいという人々の呪術的欲望の産物だったと言えるだろう」(長谷, 2004, p.78)。いわば、家族を亡くした遺族にとって「写真が証明すべきなのは家族の愛の存在であって、霊の存在ではなかった」(p.77)のである。現代は、心霊写真が撮れなくなってしまった時代、つまり、心霊写真によって故人とのつながりを維持することができなくなってしまった時代ということもできるだろう。

③鑑賞者について

 かつて写真は、家族・親戚あるいは知人が鑑賞者であった。むしろ、写真というプライベートなものを、それ以外の人が目に触れる機会は無かった。いやむしろ、SNS以前の写真は、ほとんど誰の目にも触れることは無かった。多くても数人にしかみられることは無かったのだ。そういう意味で、SNS時代の写真の大きな特徴は、鑑賞者の爆発的な増加である。先ほどの猫の話も、猫の写真自体がよくできているのではなく、それをシェアする人が多いことによって、写真の価値を決定づけている。大山が端的に述べているように「写真のありかは撮影者から閲覧者へ移行した」(p.111)のである。
 そして、もう一点、大山が現代の写真の鑑賞者として取り上げているのはGoogleなどに代表されるAIである。膨大に撮られるようになった写真の一枚一枚を私たちが見ることはもはや不可能になりつつある。その中で、AIだけがすべてを見て、アルゴリズムを用いて私たちに数枚ずつサジェストしてくれる。このとき選ばれた写真は私たちの「思い出」だろうか。「過去」だろうか。もはやそのような言葉では言い表せない状況になっている。それは、写真を撮るという行為自体が、データを保存し、アルゴリズムに従ってAIに取り出してもらうという行為を内包している。大山は、こんにちの写真を以下のように定義づけている。「こんにちの写真とは、写真それ自体のシステムのことである。写真は人間のものではなくなったのだ。こんにちの写真とは、人間のためのものではなくなった、それ自体のシステムのことである」(p.264)

 最後に、大山が述べた写真はシステムであるということの意味について考えてみたい。ここで重要なのは、かつての写真は、撮ること自体が目的であったということである。たとえば、大山は、家族写真について論考を深める際に、「写真館の本質は優秀な舞台設定サービスだった」(p.189)と述べる。そこで撮られた写真がどういうものなのかというよりも、写真館という整えられた舞台で家族写真なるものを撮るということ自体が家族写真を家族写真たらしめている。また、大山はSNS以前の写真について「ほとんど人に見られなかった」(p.225)ということが重要であると指摘している。つまり、SNS以前の写真は、見られることではなく、撮ること自体に意味があったのだ。何かのために撮るのではなく、撮るために撮るのが少し前の写真だった。

 それがいまや写真は見るためのものに変容してきていると結論づけるのは早計である。それだと、写真は大衆化されたという言わばすこし古い結論にしかならない。ここで大山が「システム」と述べたことに留意する必要がある。つまり、現代の写真は、再び、誰の目にも触れられなくなっている。それは、SNSなどでの写真の氾濫がじつはもっと膨大な人の目に触れられていない写真のごく一部にすぎないということを示している。僕たちのスマホに撮りためてある膨大な数の写真は、誰の目にも留まらない。撮ったはずの自分でさえも見返すことのない写真ばかりである。そういった写真を見るのはAIである。AIが見るために写真は撮られる。そこでの人間の役割はもはや「AIによって選別されるべき写真を撮る撮影係」でしかない。あるいは、監視社会の進展によって、ありとあらゆる世界が画像として記録されるようになれば、撮影係としての人間さえも不要になるかもしれない。このような、撮影も選別も現像もそして鑑賞さえもAIが行うようなシステム、つまりAIによるAIのための写真の生産構造こそが、大山が述べる「写真システム」である。

 かつての写真は、人間がそれを撮っているということを不問にすることで成立してきた。それは、何が写っているのかということが重要だったからである。いわば、写真の被写体主義の時代であった。しかしながら、写真が大衆化することで、何を撮ったのかではなく、誰が撮ったのかということが重要になってきた。それは、スマホに代表されるような技術進化による自撮りの登場の影響である。ここにおいて、写真の撮影者主義の時代が生まれた。そして、SNS時代においては、誰が何を撮ったのかではなく、誰がそれを見ているのかということが意識されるようになった。いいねの付きそうなテーマが重視されるようになった。これは、写真の鑑賞者主義の時代といってもいいだろう。そして、最終的には、誰も撮らず、誰も写らず、誰も見ない写真の時代がやってきつつあるだろうというのが大山の見立てである。この写真のシステム主義=人間不在主義が到来したとき、写真はいったいどのような意味を持つようになっているのだろうか。本書の読者の一人として大きな宿題をもらった。

撮影者被写体鑑賞者
被写体主義ノーバディ家族などの撮られるべきもの家族など限定された人びと
撮影者主義私(自撮り)不特定多数の他者(SNS)
鑑賞者主義ノーバディシェアされやすいもの不特定多数の他者(SNS)
システム主義人間・AIあらゆるものAI

文集『パンデミックを歩く』について

2020年度前期の授業で、大学1年生に新型コロナでの自粛期間中の生活について、オートエスノグラフィックに記述してみようという課題を出した。その出来があまりにもよかったので、文集化したのだが、より多くの人の目に触れてほしいという願いをこめてインターネットにも公開する。以下のURLから閲覧可能である。

文集のすべてが公開できたわけではない。プライベートなことを書いてくださいとお願いしたので、知り合いに見られたら困るという学生もいる。だから、ここで公開できたのは、ほんの一部にすぎないことをあらかじめ了承してほしい。逆に言えば、公開されていない文章もまた本文集の大事な一部である。

https://r.binb.jp/epm/e1_158115_03092020105328/

ついでに、私が書いたまえがきも載せておく。

 二〇二〇年がこのような年になると予測できた人はいないだろう。それくらい、新型コロナウイルス(COVID-19)の猛威は未曽有であった。

 新型コロナウイルスは、わたしたちの問題である。わたしたちの生活は、修正を余儀なくされ、何の権限があってか知らないが、誰かが勝手に「新しい生活様式」を制定するにまでいたっている。そこからもはや逃れることができない。感染の有無にかかわらず、ありとあらゆる人が少なからぬ影響を受けている。

 しかしながら、この新たな生活を粛々と営む一市民の声は、いともたやすく忘れ去られてしまう。変化があまりに急激すぎて、四月や五月に自分が何を考え、どのように生活していたのかについてほとんど思い出すことができない。未来のことを語る前に、現在のことをしっかりと記録しておくことが必要だ。(ちなみに僕はウィズコロナという言葉が嫌いだ。「コロナ」がウイルスのことを指しているのか、蔓延した社会のことを指しているのかが不明瞭だからだ。そして、これは偏見なのかもしれないが、ウィズコロナと嬉しそうに語る人たちは、現状の社会を変える「口実」としてコロナと言っているに過ぎないように感じてしまう)。

 本文集は、二〇二〇年度に大阪大学で一年生向けに開講した「学問への扉」の中で、人間科学研究科の教員である宮前良平が担当している「エスノグラフィを書く」という授業の受講生一七名が書いた生活の記録をまとめたものである。テーマは多岐にわたる。「マスク」や「トイレットペーパーの買いだめ」というものもあれば、「自粛生活中の憂鬱」など、ほとんど一度も登校することなく自粛生活を余儀なくされた大学一年生のありのままが描かれている。

 それぞれの文章は、オートエスノグラフィという方法論を基盤において書かれているが、方法論に固執しているわけではないので、最終的には学生ひとりひとりの自由なやり方に任せた。その中でも、僕は、一教員として一点だけ注意を促した。それは、「自分が経験したことを具体的に書くことを徹底すること」である。これは僕のポリシーなのだが、中途半端に一般化した文章よりも、とことん自分のことを具体的に書いた方が伝わることが多いと思う。一般化は学問において強力な手段ではあるが、かえって言葉が薄まってしまうこともある。まるで、全戸配布されたあのマスクのように。そうではなく、具体的に生きられた経験を煮詰めて「結晶化」することにも学術的意義があると考えている。自己から発せられる共役不可能な言葉にこそ、他者と理解しあえる回路が埋め込まれているのである。この挑戦が成功しているかどうかは、実際に本文集を読まれた方に判断していただければ幸いである。

 本文集は、ほとんど登校できなかった学部一年生たちの貴重な記録である。この新型コロナウイルスの騒ぎがいつまで続くかは定かではないが、本文集がそれぞれの人生の一ページとして長く記憶されることを祈っている。

大阪大学大学院人間科学研究科 宮前良平

大前粟生著『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』

コロナウイルスの影響で僕も無事にテレワークをすることになったのだが、家にいるとなんだか滅入ってきてしまう。自由であることがこんなにも不自由であったのかと思う。普段はあんまり人としゃべらなくても平気なほうの人間なのに、いざ思う存分一人でいてくださいねとなると急に心細くなる。落ち込む。

時間だけはそれなりにあるのに、仕事が全く進まない。ぼーっとしてしまったり気が散ったりしているうちに一日が終わってしまう。慣れないオンライン授業の準備をしたり、web会議に出席したりしていると、移動していないはずなのに、ずいぶん疲れがたまっていることに気づく。

こういうときは「優しい本」が読みたくなる。孤独を癒してくれるような本。イメージとしては、コンビニで売ってるような自己啓発本の真逆の本。そう思っていろいろと探してみると、ピンク色の表紙の面白そうな本を見つけた。タイトルは、『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』。まさに僕が探していたような優しい本じゃないかと思って即購入。少しずつ読み始め、ついに読了。ほんで、めちゃくちゃ面白かったです。

主人公は大学一年生の男子の七森。彼は背が低くてどこか女性っぽい顔立ちでお酒があまり強くなくて頼りない。高校のときは、男子グループだけじゃなくて女子グループにも自然と受け入れられていた。まあなんだ男子禁制の女子会になぜか呼ばれちゃう系の男子だ。

で、彼は、とてもやさしい。彼の優しさを軸に物語は進んでいく。どれだけやさしいかというと、ちょっと本文中から抜き出そう。七森がサークルの同期の白城さんに告白して、オッケーをもらえた次の日の朝、彼はこう思っていた。

威圧的でない見た目をしていても、男だ。告白してみたら、自分が相手にとって異性になってしまったって七森は気づいた。

男が女の子に恋愛的で性欲的な、しかも告白ってアクションを起こすと、相手をこわがらせたり傷つけたりしてしまうかもしれない。

七森は、自分が男性ということで、それだけで相手を怖がらせてしまっているのではないかといつも心配している。自分がマジョリティの立場にいることで知らず知らずのうちに相手を傷つけてしまっているのではないかといつも思い悩んでいる。だから、彼にとって何か言葉を発することは、それ自体で誰かを傷つける可能性を持った暴力的な行為なのだ。

小説の中には、七森のその優しさを理解しない人たちも出てくる。高校の時の同級生たちと成人式のときに再会したとき、七森は彼らのノリが気持ち悪くてついていけなくなってしまう。それは「お前童貞なの?」とか「もしかしてゲイ?」みたいな軽口なのだが、七森にとってそれはもはや暴力なのだ。

それとは対照的に、七森的な優しさをきちんと理解してくれる人たちもいる。それは大学のぬいぐるみサークルのメンバーである。この物語はぬいぐるみサークルでの交流を中心に描かれる。ぬいぐるみサークルと言っても、ぬいぐるみを集めたり、作ったりするサークルではない(捨てられたぬいぐるみを拾うことはあるらしいが)。なんと、ぬいぐるみに話しかけるサークルなのである。七森は人と話すときの自らの意図せざる暴力性に怯えている。でも、ぬいぐるみに話しかければ、誰かを傷つける心配はない。そういう優しい人たちが集まるのがぬいぐるみサークルなのだ(七森はぬいぐるみとはしゃべらないのだが)。

この物語には、もう二人、主人公格の登場人物がいる。一人は、七森と仲の良い「ぬいサー」の同期の女子学生の麦戸ちゃんで、もう一人は、七森と同様ぬいぐるみとしゃべらない「ぬいサー」メンバーの白城だ。白城も七森と同期の女子大生だ。

麦戸ちゃんは、ある日を境に大学に来なくなってしまう。麦戸ちゃんも、ある出来事がきっかけで、この世界で誰かが傷ついていることに耐えられなくなってしまう。麦戸ちゃんもやさしいのだ。例えばこんな感じ。

麦戸ちゃんは七森をしんどくさせないために微笑もうとしたけれど、話し終えると、ことばに遅れて痛みがやってきて、涙が止まらなくなった。

それに対して、やさしい七森はこう思うのだ。

僕も同じだよ。麦戸ちゃんの気持ち、わかるよ。七森はそういいたい。でもいえない。同じじゃないから。僕は男で、やっぱり、恵まれているから、

麦戸ちゃんも七森も、やさしい。自分の言葉が相手を傷つけるかもしれないということを避けてしまう。だから、ちょっとよそよそしい感じもある。お互いがお互いを気遣いすぎてしまっている。それでも物語は進んでいく。やさしさがかれらを縛り付けながら。

さて、ここで紹介した文章は、パッとページを開いて目に留まったところをランダムに載せているだけだ。これでこの小説の雰囲気が伝わってくるだろう。胸の中の悶々とした思いが、明確に言語化されていく。読んでいる自分ももどかしい。登場人物のやさしさゆえに、「それは間違ってるよ」と言うわけにもいかず、余計に苦しくなっていく。でも、やさしいがゆえに安心して読んでいける。

僕は知らなかったのだが、こういう小説のことを「フェミニズム文学」というらしい。マジョリティである主人公が自分のマジョリティ性の暴力性に悩むという話なのであれば今後も読んでみたいと思った。

宮地尚子・金井聡. (2020). 尊厳と暴力——公的領域・親密的領域・個的領域の三分法から考える. 加藤泰史 & 小島毅. (編), 尊厳と社会(下) (pp. 58–73). 法政大学出版局.

大学のメールボックスの中に極めて分厚い荷物が入っていて、辞書か何かかなと思って封を開けると、合わせて1000ページ近くある学術書だったので驚いた。書名は『尊厳と社会』というもので、どなたが送っていただいたのだろうと思ってパラパラめくると、たぶんこの先生からのご恵投だろうというあたりがついたので、勉強がてら読んでみる。結論から言うと、極めて勉強になった。

「尊厳と暴力」というタイトルの論考は、非常に明確な問題設定から始まる。曰く、尊厳を毀損するものとして暴力を捉え直してみようとのことである。なぜならば、暴力というのは、人間社会において常に当たり前に存在してきたために考察の対象から免れてきてしまっていたからである。たとえば、PTSDに苦しむ人びとは自らの症状を表現する言葉を口にすることができず(それは内的な抑圧もあるだろうし、社会的な抑圧もあるだろう)、またその支援に当たってきた著者たちもかれらの苦しみを十分に言い表す言葉が見つからないと悩む。このような、可視化されにくい暴力を、公的領域・親密的領域・個的領域の三分法という枠組みから捉え直そうというのが本稿のメインテーマである。

では、公的領域・親密的領域・個的領域とは何か。公的領域は分かりやすい。たとえば、会社であるとか学校であるとか、いわゆる「人前」の社会のことである。それにたいして、後者二つは、若干の注意が必要である。公的領域と対比されるものとして私的領域という区分があるが、本稿では、私的領域をさらに細かく区分して、親密的領域と個的領域というカテゴリーを用意する。以下定義について引用する。

親密的領域:「カップルや家など、恋愛や性愛、親愛や愛着によってつながった人間関係」(p.62)

個的領域:「自分のためだけの時間や空間を意味する」「自分があるがままでいられる場や、恐怖やストレスを癒し、活力を持って外に出かけていけるような、くつろげる休息の時間、他者からの評価や否定的視線から解放された時空間」(p.62)

このように、親密的領域と個的領域を分けてみると、DVに代表されるような暴力と、暴力によって支配されてしまうこと、そのため自らの言葉が失われてしまうことなどを極めて明快に説明することができる。以下のとおりである。

このように三分法で考えてみると、DVを「親密的領域における暴力と支配であり、それによって相手の個的領域を奪い、すべて親密的領域にしてしまうこと」ととらえなおすことができる。(p.62)

DVのような問題は、「親密的領域にひびが入っている」と早とちりしてしまいがちだが、決してそうではなく、むしろ親密的領域の全体化なのである。つまり、ここで具体的に論じられるようになるDVとは、家庭内で単に暴力をふるって相手を傷つけるということではなく、暴力によって相手の個的領域を簒奪し親密的領域において支配する行為のことであると理解できる。この理解は極めて重要である。なぜなら、この理解によって、加害者の支配行動に潜む二重の構造—暴力と暴力の正当化—に気づくことができるからである。加害者は暴力をふるい、被害者を支配する。ここでいう支配とは、個的領域が奪われることであった。個的領域が奪われ相手とのゆがんだ親密的領域の中でしか生きられなくなった被害者は、その暴力に対して反論する余地がなくなる。逃げられなくなる。安全地帯そのものがないし、そもそも安全地帯があったことさえ忘れ去られてしまう。そのため、暴力は、被害者によって消極的に正当化されてしまう。

したがって、そういった被害者を支援しようとするとき、公的領域を拡充するでも親密的領域を拡大させるのでもなく、ひとまずは個的領域を用意し、そこを豊かにしていくことが求められる。

個的領域において、被害者は、加害者による身体機能の管理から解放され、心身の自律性を回復する必要がある。個的領域とは、ささやかな抵抗の拠点であり、生存の拠点である。(p.71)

そして、本章の結部では、暴力によって奪われてしまう個的領域とは、「尊厳」と呼ばれるものに近いのではないかと示唆される。それは、生存の基盤でもあり、親密的領域や公的領域に足を踏み出していくときの安全基地でもある。ここもまた、極めて重要な指摘である。

さて、最後に、災害の場でこのような三分法は応用できるだろうと考えてみる。災害もまた、わたしたちから個的領域を奪う暴力であると言えそうだ。たとえば、プライバシーが守られない雑魚寝式の避難所・「被災者である」かどうかさえも罹災証明で行政的に決められてしまうことや、もともとのご近所づきあいを破壊する仮設住宅などは、まさに個的領域を奪いさる。さらにそのうえ、災害の場合は、親密的領域さえも奪い去る傾向があるように思う。上述の仮設住宅の例でいえば、いわゆるコミュニティの崩壊は、親密な地域のつながりを無くしてしまう。その結果として、孤独死になることも多い。本稿の枠組みで考えるのならば、災害とは、個的領域も親密的領域も奪い去り、生活のすべてを公的領域化するような暴力であるとひとまずは言えるかもしれない。災害ユートピアが訪れるというのは、社会秩序が崩壊した一種の自然状態に人間が置かれるからだ。また、災害後の混乱に乗じて政治が幅を利かせる現象(ショックドクトリン)も今や有名である。しかし、そこから時間が経過するにつれ、個的領域が回復していく。しかしながらその個的領域は、親密的領域無しの個的領域であり、いわば、孤立状態を生み出す。その最悪の結果として孤独死が生じる。ここまで考えると、災害とは、圧倒的な力で私的領域を破壊し、その後公的領域による支配と個的領域への閉じこもり(=親密的領域の喪失)を生むと言えそうだ。まあ、最後の部分は、災害そのものというよりも社会の問題に起因しそうだが。

https://www.amazon.co.jp/%E5%B0%8A%E5%8E%B3%E3%81%A8%E7%A4%BE%E4%BC%9A-%E4%B8%8B-%E5%8A%A0%E8%97%A4-%E6%B3%B0%E5%8F%B2/dp/4588151088

無力感と消去法

 梅雨が明けない日だった。7月になってもずっと蒸し暑く、換気を忘れた古びたサウナに閉じ込められたかのような静かな圧迫感があった。

 選挙結果も同じような圧迫感をともなって現れ出た。自公で単独過半数は達しなかったが、与党の体制は盤石であることは明らかだった。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190722/k10012002651000.html

 しかし、冷静にかんがえてみれば、いくつかの矛盾があることに気づかされる。まず確認しておきたいのは、今回の選挙で勝った自民党は、消費税増税に賛成しており、他の主たる政党は、公明党を除いてすべて増税に反対しているということ。そして、憲法改正についても推進派は、自民と維新だけであるということ。選択的夫婦別姓や同性婚に強く反対しているのは自民党であるということ。加えて言えば、その他の論点は、どこもそれほど変わらないということ。これらのことを考えれば、国民の多数を占めるはずの自民党の支持者は、「消費税増税賛成、改憲賛成、選択的夫婦別姓や同性婚に反対」ということになる。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190711-00010000-senkyocom-pol

 しかし、その他のニュースを見てみると、むしろ、国民の大多数は、「消費税増税反対、改憲反対、選択的夫婦別姓や同性婚に賛成」とみる方がよさそうだ。

 たとえば、消費税増税反対は57%であり( https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190721/k10012001651000.html )、改憲については、必要派29%不要派27%と極めて拮抗しており( https://www3.nhk.or.jp/news/special/kenpou70/yoron2018.html )、選択的別姓については、容認42.5%不要29.3%と容認派が大きくリードしている( https://www.asahi.com/articles/ASL2B4SLHL2BUTIL00R.html )。

 これらのことを素直に考えれば、国民は、自分たちの希望と正反対の主張をしている政党に票を投じているということになる。この矛盾こそが、現代日本の大きな問題である。

 この矛盾は、喩えるなら、配偶者の暴力から逃げ出そうと思っているのに逃げ出せない被害者の持つ矛盾と同型である。ひどい暴力にさいなまれながら、「この人は本当はいい人に違いない」と思うことで、なんとかやり過ごそうとする。このようなことが国政を通して常に行われている。

 そして、この矛盾した思考は、ある合理性を持って現れてくる。それは、「他の野党よりマシ」という消極法である。民主党が政権交代を果たしたにもかかわらず、結局、かれらは自民党時代の政策をキャンセルし、仕分けを行うことで、新しさをアピールしようとした。しかし、それは無残にも失敗した。彼らのやり方は、地方行政のやり方でしかなく、国政を動かすということには、悲しいほどに向いていなかった。いうなれば、せっかくDV家庭から抜け出したのに、新たな家庭でもっとひどい仕打ちを受け、結局元のさやにもどってしまったという感じである。

 だから、いまのわれわれは、政治に対して無関心を貫いている。いや、無関心というよりも無力感である。もっと深い傷を負わなくするためには、環境を変えるリスクを取るよりは、現状の痛みをとにかくやり過ごすという方法を取らざるを得ない。われわれの無力感は、学習した無力感なのである。それは、社会学者のバンデューラが言うように、きわめて強い無力感である。

 モーニング娘。のとある曲の一節に選挙に行く家庭が描かれている。

 親に連れられて選挙に行き、投票用紙を渡され、記名台に向かう。そこには知らない政治家の名前しか書かれていない。だれがどんな主張をしていて、どんな成果を残してきたのか、自分には何もわからないということが思い知らされる。誰の名前も書けない。しかし、親は、すでに誰かの名前を書いて投票を済ませようとしている。ヤバイ。誰かの名前を書かなきゃ。よく見ると、何となく知ってる政党名がある。「自民党」。何をしているのか、どんな政党なのか全く知らないけど、ずっと日本の政治を担ってきた政党なんだから、間違いないよね。だって、ヤバイ政党だったら、そもそも今の日本は終わってるはずなんだし。さっさと名前書いて、投票しちゃおう。わたしの一票がどこの誰かも知らない野党(立憲民主党?国民民主党?共産党?全部聞いたことないから怪しい人たちかも)に入っちゃったら、日本が危なくなっちゃうしね。こうやって国民の義務を果たさないとね!なんとか投票できてよかった~。

 こうやって、投票した一票によって、平和は少しずつむしばまれていく。メディアは、若者の政治離れという。同じ口で、若者の保守化という。政治離れと保守化は、少なくとも若者にとっては同じ現象の言い換えにすぎない。知らないということは、選べないということだ。選べないということは、(論理の飛躍はあるが現実的には)保守化するということなのだ。

 わたしたちは、政治を知れば知るほど、無力感にさいなまれる。政治を知らなければ知らないほど、消去法で選ばざるを得なくなる。どちらも行きつく先は保守化である。保守化の行き着く先は、独裁である。独裁は、わたしたちを更なる無力感にいざなう。わたしたちは、いま、どこまで進んでしまっているのだろうか。

東畑開人著『居るのはつらいよ』

「ケアの光と影」

 「ケア」の必要性が叫ばれ始めて久しい。実際にデイケアの数は増えている(はず)だし、災害後の避難所に行けば「心のケア」のブースがあることは多いし、「ただそばにいること」の重要性も認知されてきている。ケアに対して、悪い感情を持っている人は、ほとんどいないだろう。「ケア」は現代社会に非常に欲せられている。

 しかしながら、「ケア」あるいは「ただ、いる、だけ」というのは、実は苦痛を伴うものでもある。例えば、評者は、学部生の時にとあるデイケアにボランティアとして行っていたことがある。意志の疎通がほとんど不可能なくらいの障害をお持ちの方と二人でペアになって、一日を過ごすというボランティアだった。もちろん、することは何もない。会話も通じない。ただひたすら、ぼーっとしているだけである。こういう時に限って時間が進むのが遅い。逃げ出したくなる(この時の様子は詳しくは拙エッセイ「弱さの力」をお読みください)。「ただ、いる、だけ」というのは、基本的には苦痛を伴うものなのである。居るのはつらいのである。

 本書は、京都大学を卒業後、沖縄のデイケアで数年間臨床心理士として働いていた東畑開人先生の、デイケア論である。デイケア論といっても、本書で描かれているのは、デイケアの日常である。本書は一流の「小説」としても読めるほど面白い。本書の冒頭部分で、「居るつらさ」がありありと描かれている。引用しよう。

***

 何もすることがないし、何をしてもいいかわからないし、どこにも行けないから、時間を潰すためだけにタバコを吸う。

 肺が重い。

「それでいいのか?それが仕事なのか?」

(中略)

 することがないから時間が進まない。肺だけではなく、時間まで重たくなる。

 不毛な時間が僕らを侵す。

(中略)

 「それでいいのか?それ、なんか、意味あるのか?」

 答えることができない問いを前に、僕は答えることを諦める。

 「わからない、居るのはつらいよ」

***

 居るのはつらい。でも、つらいのはなぜだろうか。それについて考える前にケアとは何かについて本書から学んでみよう。

 ケアとは、「とりあえず座っている」ことである。この「いる」ということがケアの基盤になる。そして、「いる」ことは誰にでもできる仕事である。キテイはこういう素人仕事のことを「依存労働」と呼んだ。「依存労働」とは、誰かにお世話をしてもらわない人のケアをする仕事のことであり、母がしているようなすべてを一人でまかなうような仕事である。そして、このような労働の形態は、ウィニコット的な「遊び」の形態と近くなる。ここで言う「遊び」とは、ゲームをして楽しいとかそういうことではなく、「一緒に○○する」ということである。依存労働は、その原初的形態において既に複数人を必要としているのである。

 ケアについて一言で言うならば、「『一日』を過ごせるようになるために、『一日』を過ごす」(p.188)ということである。この「すごす」のトートロジーこそがケアの本質である。そして、本書の舞台であるデイケアとは著者の言葉を借りれば、「究極のコミュニティ」である。なぜなら、「それは『いる』ために『いる』ことを目指すコミュニティであり、コミュニティであるためにコミュニティであろうとするコミュニティだからだ」。いるということがケアの重要な点であった。それゆえ、デイケアは、ケアのためにケアをする場所と言い換えることもできる。このとき、ケアをする側とされる側というような主体客体の擁立はなされない。いうなれば、デイケアにおけるケアの主体は、デイケアという「コミュニティ」なのである。このことは、國分功一郎の中動態概念を参照すれば理解できよう。つまり、デイケアにおけるケアとは「コミュニティの内部で生じて、コミュニティの内側で作用する」(p.224)ものなのである

 本書では、これらをまとめて、ケアとは「傷つけないこと」であるとまとめられる。デイケアのメンバーさんは、様々なニーズを挙げる。そのニーズにひとつひとつ答えていくことで傷つかないようにすることがケアなのである。メンバーさんたちは、社会の中でうまく「いる」ことができない。だから、ちゃんと「いる」ことができる場としてデイケアがある。それゆえ、「いる」ということはケアとして機能するのである。ケアは外的な変化の圧力に耐え、日常を再生産していくのである。

 対照的に、セラピーとは、傷つきに向き合うことである。そしてそれはニーズを変更することである。例えば、「一緒にいてほしい」というニーズに対して、ずっと一緒にいることはできない(一日のうち23時間とか一緒にいることが求められてしまう!)。だから、セラピーは、「一緒にいてほしい」と望むメンバーに対して「一緒にいなくても、自分のことを悪く思っていないとわかる」ようにしていく。セラピーは、変化のための介入をするのである。

 さて、本書では、さまざまな「いることのつらさ」が例示されている。たとえば、手持ち無沙汰。何もすることがないというのは苦痛である。そのため、デイケアでは、カードゲームやスポーツなどでみんなで「遊ぶ」ことで、「いる」ことのハードルを下げていく。しかしながら、もっと深刻なのは、人が辞めていってしまうことである。本書において、中心人物となる男性看護士が3人いる(というか、舞台となるデイケアには看護師は3人しかいない)。しかし、その3人は、数年で全員辞めてしまう。挙句の果てには著者の東畑先生も辞めてしまう。これはなぜなのか。東畑先生は、ケアをめぐる社会の構造が問題ではないかと論を進めていく。

 ブラックデイケアというものがある。いることを続けるということは、「治さない」ということでもある。つまり、患者が常に治療費をはらい続けてくれるという構造がデイケアにはある。患者さんに「いてもらう」ことによって収入が得られる。そのため、あるデイケアは、患者をそこに閉じ込め、出ていかないようにする。「いる」ことを管理し始める。「いる」ことを強制する。デイケアの経営のために、効率性とか生産性を高めるために、「いる」ことが利用される。こうなったらもはや、「いる」ことは脅かされている。

 「居るのはつらいよ」。本書のタイトルの意味がここで明かされる。「ただ、いる、だけ」の価値は、それによって金銭を得られるということに頽落してしまう。ケアという何をやっているのかよくわからない世界は、セラピーという変化が良く見える世界にとってかわられてしまう。「ただ、いる、だけ」は、その価値を金銭収入に求めるしかなくなってしまう。いることの重要性は、それを理解しようとしない会計の人たち声によって容易にかき消されてしまう。「居るのはつらいよ」。

 本書で、解決策は示されていない。しかしながら、東畑先生のいきいきとした筆致は、いることのかけがえなさを鮮やかに描写している。このような言葉が、このような金銭を産み出さない非生産的な言葉が、じつは、「いる」ということを守っているのだ。

新年度

2019年度から大阪大学人間科学研究科未来共生講座の助教に着任しました。

昨年度まで学生として9年間通ってきた人科で働くことができてありがたい限りです。これからも、大阪(もしくは野田村)におりますので、今後ともよろしくお願いいたします。

宮前良平

みぞれまじりの野田村にて

 今年は、野田村は、公式な追悼式典を行わなかった。震災から8年が経過し、そうやって、少しずつ、静かさを取り戻していくのかもしれない。
 でも、僕は、例年通り、献花台へ行き、白い花を海へ向かって手向ける。手を合わせて祈る。何に対しての祈りなのだろう。一昨年、イギリスから野田村に来た研究者は、こう言った。「われわれキリスト教徒は、こういうとき、神に向かって祈ることができる。でも日本人は、一体誰に向かって祈りをささげているんだ?」僕は、この問いに今もきちんと答えることができない。震災を機に野田村に通いはじめた僕は、亡くなった人びとの顔を一人も知らない。ただ、想像の中の誰かに向かって、それでも、ただ祈る。
 祈りとは、なにか巨大な事柄に対して自分には何もすることがなくて、それでも、何もしていないわけにはいかなくて何かをしなくてはならないと強く思うとき、ひとりの人間にできるほとんど唯一の行為なのかもしれない。

 14時46分が近づいてきて、いつも野田でお世話になっている方と献花台のそばで出会う。彼女は、近い親戚を津波で亡くされている。彼女は、視界に僕の姿を認めると、近寄ってきて話しかけてくれる。

「今日はひどい天気じゃない?今年はほとんど雪が降らなかったのに、こんなに降るなんて。まるで、3月11日という日を忘れないでって言われてるみたいだわ。だって、これだけ寒ければ、来年になっても覚えてるじゃない。そういえば去年も11日は寒かったわね。ほら、こうやって思いだせるの。でも、東北はこれからだんだん暖かくなっていくわ。暖かくなってくると暖かい雨が降るの。今日みたいな冷えた雨じゃなくて。暖かい雨は、今度はもっと暖かい雨を呼んでくるの。そうやって、この辺りも春になっていくのよ」

 これは、ほんの世間話に過ぎないのかもしれない。でも、僕は、彼女の言葉の中に、未来に向けたまなざしを感じ取ってしまった。これから来る春。そして、一年後の今日。それはきっと、「去年はひどく寒い日だったな」と思いだす日になるはずだ。
 僕は、そんな日が必ずやってくることを想いつつ、祈る。祈るとは、ときに、未来という漠然とした、ほんとうに存在するかもわからないものに対しての、ささやかな約束にもなるのだ。

舞城王太郎『世界は密室でできている』

たとえば、ぼくが中学生だったころ、それはつまり、長野県からほとんど出たこともなく、というよりも市内からほとんど出たこともなかったころ、ぼくは、広い意味で密室に閉じ込められていたと言うこともできるだろう。自分の家と友だちの家と学校を行き来するだけで完結する生活。外部の世界があるということは知っていたけど、そこへ行ってみようとは、あまり思わなかった。頭の中の地図は、自分の家から半径数キロメートルしか描かれていなかった。

密室というのは、なにも「脱出不可能な部屋」とか「閉ざされた雪の山荘」とか「孤島」に限らない。ぼくたちは、絶えず、なんらかの密室の中で生活している。

本書は、このような広い意味での密室の中で青春を過ごす中学生の由紀夫と、その友だちでもある名探偵ルンババ12の物語である。本書の中には、いくつかの密室が登場する。密室内の遺体が不自然に窓の外を見つめている一連の密室、一家が惨殺された後にその遺体が家中を引きずり回されている密室、その家庭の父親が別の人の家の中で死んでいてダイイングメッセージに「あ」と書かれている密室、福井の山奥で4つの密室の中に十数体の遺体が4コマ漫画のように並べられている密室。そして、ルンババ12の父親が息子を部屋に閉じ込めておくために作った密室。しかし、それらの密室は、読者がトリックを考えるよりも先に解かれてしまう。

だから、「世界は密室でできている」と言ったときの「密室」とは、ミステリを構成する上での仕掛けとしての密室ではなく、冒頭で書いたような、田舎で生まれ育った青年の、田舎の中で完結しようとしてしまうような、人生のことなのである。

本書では、この密室に風穴を開ける存在として、東京に住むツバキ・エノキ姉妹が登場する。由紀夫は修学旅行で東京に行き、ひょんなことから埼玉にあるツバキエノキ姉妹の家に連れていかれる。そして、東京の宿舎までエノキの運転する車で送り返されるのだが、そこで、エノキが泣いてしまい、由紀夫は彼女を必死で慰める。

「それから僕は埼玉のどこかの国道の脇で、初対面の女の子に、出会って二時間でキスを奪われるという、唐突すぎて素敵なんだかどうだかわからない経験をする。」(p.53)

舞城の作品にとって、キスは、それほどロマンチックに行われない。「愛」みたいなもので、それを原因づけることをしない。それは剥きだしの衝動である。かといって、キスによって性的に満足されるというわけでもない。人間が性として分かたれる以前の人間そのものとしての衝動である。

いずれにせよ、そこからエノキは、由紀夫と頻繁に電話をするようになり、その年の夏に、大きな事件が起き、ルンババがそれを解決し、エノキは由紀夫とルンババの住む福井県に引っ越してきて、由紀夫の家に居候することになる。そして3年がたち、福井で大きな密室殺人が起き、ルンババが首尾よくそれを解決し、物語は幕を引く。

のだが、ルンババは最後に、もう一つの事件を解決する。それは、13歳の時に屋根の上から落ちて死んだルンババの姉である涼ちゃんの事件の真相であった。そして、ルンババは、その真相を暴いたうえで、姉と同じように屋根から飛び降りる。姉のときとの唯一の違いは、家の下で、友人である由紀夫とエノキが布団をかき集めて、彼を受け止めようとしている点においてである。

「「行けー!」と僕は叫んだ。「飛べルンババ!飛んで落ちてばっちり生き残って、涼ちゃんより長生きするんや!」」

「「行けー!」と泣きながら、エノキも叫んだ。そうだエノキも僕たちとこれからも一緒に生きていくんだ」(p.238)

ルンババはなぜ名探偵になったのか。あのとき助けられなかった姉を助けたいという思いが彼の心の中にあったからである。そして、彼にとっての謎の解決は、論理的に導き出される理路整然とした紙上の方程式の解ではなく、一緒に生きてきた友人たちと再び歩み直す生身の人生だったのである。