文集『パンデミックを歩く』について

2020年度前期の授業で、大学1年生に新型コロナでの自粛期間中の生活について、オートエスノグラフィックに記述してみようという課題を出した。その出来があまりにもよかったので、文集化したのだが、より多くの人の目に触れてほしいという願いをこめてインターネットにも公開する。以下のURLから閲覧可能である。

文集のすべてが公開できたわけではない。プライベートなことを書いてくださいとお願いしたので、知り合いに見られたら困るという学生もいる。だから、ここで公開できたのは、ほんの一部にすぎないことをあらかじめ了承してほしい。逆に言えば、公開されていない文章もまた本文集の大事な一部である。

https://r.binb.jp/epm/e1_158115_03092020105328/

ついでに、私が書いたまえがきも載せておく。

 二〇二〇年がこのような年になると予測できた人はいないだろう。それくらい、新型コロナウイルス(COVID-19)の猛威は未曽有であった。

 新型コロナウイルスは、わたしたちの問題である。わたしたちの生活は、修正を余儀なくされ、何の権限があってか知らないが、誰かが勝手に「新しい生活様式」を制定するにまでいたっている。そこからもはや逃れることができない。感染の有無にかかわらず、ありとあらゆる人が少なからぬ影響を受けている。

 しかしながら、この新たな生活を粛々と営む一市民の声は、いともたやすく忘れ去られてしまう。変化があまりに急激すぎて、四月や五月に自分が何を考え、どのように生活していたのかについてほとんど思い出すことができない。未来のことを語る前に、現在のことをしっかりと記録しておくことが必要だ。(ちなみに僕はウィズコロナという言葉が嫌いだ。「コロナ」がウイルスのことを指しているのか、蔓延した社会のことを指しているのかが不明瞭だからだ。そして、これは偏見なのかもしれないが、ウィズコロナと嬉しそうに語る人たちは、現状の社会を変える「口実」としてコロナと言っているに過ぎないように感じてしまう)。

 本文集は、二〇二〇年度に大阪大学で一年生向けに開講した「学問への扉」の中で、人間科学研究科の教員である宮前良平が担当している「エスノグラフィを書く」という授業の受講生一七名が書いた生活の記録をまとめたものである。テーマは多岐にわたる。「マスク」や「トイレットペーパーの買いだめ」というものもあれば、「自粛生活中の憂鬱」など、ほとんど一度も登校することなく自粛生活を余儀なくされた大学一年生のありのままが描かれている。

 それぞれの文章は、オートエスノグラフィという方法論を基盤において書かれているが、方法論に固執しているわけではないので、最終的には学生ひとりひとりの自由なやり方に任せた。その中でも、僕は、一教員として一点だけ注意を促した。それは、「自分が経験したことを具体的に書くことを徹底すること」である。これは僕のポリシーなのだが、中途半端に一般化した文章よりも、とことん自分のことを具体的に書いた方が伝わることが多いと思う。一般化は学問において強力な手段ではあるが、かえって言葉が薄まってしまうこともある。まるで、全戸配布されたあのマスクのように。そうではなく、具体的に生きられた経験を煮詰めて「結晶化」することにも学術的意義があると考えている。自己から発せられる共役不可能な言葉にこそ、他者と理解しあえる回路が埋め込まれているのである。この挑戦が成功しているかどうかは、実際に本文集を読まれた方に判断していただければ幸いである。

 本文集は、ほとんど登校できなかった学部一年生たちの貴重な記録である。この新型コロナウイルスの騒ぎがいつまで続くかは定かではないが、本文集がそれぞれの人生の一ページとして長く記憶されることを祈っている。

大阪大学大学院人間科学研究科 宮前良平