大前粟生著『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』

コロナウイルスの影響で僕も無事にテレワークをすることになったのだが、家にいるとなんだか滅入ってきてしまう。自由であることがこんなにも不自由であったのかと思う。普段はあんまり人としゃべらなくても平気なほうの人間なのに、いざ思う存分一人でいてくださいねとなると急に心細くなる。落ち込む。

時間だけはそれなりにあるのに、仕事が全く進まない。ぼーっとしてしまったり気が散ったりしているうちに一日が終わってしまう。慣れないオンライン授業の準備をしたり、web会議に出席したりしていると、移動していないはずなのに、ずいぶん疲れがたまっていることに気づく。

こういうときは「優しい本」が読みたくなる。孤独を癒してくれるような本。イメージとしては、コンビニで売ってるような自己啓発本の真逆の本。そう思っていろいろと探してみると、ピンク色の表紙の面白そうな本を見つけた。タイトルは、『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』。まさに僕が探していたような優しい本じゃないかと思って即購入。少しずつ読み始め、ついに読了。ほんで、めちゃくちゃ面白かったです。

主人公は大学一年生の男子の七森。彼は背が低くてどこか女性っぽい顔立ちでお酒があまり強くなくて頼りない。高校のときは、男子グループだけじゃなくて女子グループにも自然と受け入れられていた。まあなんだ男子禁制の女子会になぜか呼ばれちゃう系の男子だ。

で、彼は、とてもやさしい。彼の優しさを軸に物語は進んでいく。どれだけやさしいかというと、ちょっと本文中から抜き出そう。七森がサークルの同期の白城さんに告白して、オッケーをもらえた次の日の朝、彼はこう思っていた。

威圧的でない見た目をしていても、男だ。告白してみたら、自分が相手にとって異性になってしまったって七森は気づいた。

男が女の子に恋愛的で性欲的な、しかも告白ってアクションを起こすと、相手をこわがらせたり傷つけたりしてしまうかもしれない。

七森は、自分が男性ということで、それだけで相手を怖がらせてしまっているのではないかといつも心配している。自分がマジョリティの立場にいることで知らず知らずのうちに相手を傷つけてしまっているのではないかといつも思い悩んでいる。だから、彼にとって何か言葉を発することは、それ自体で誰かを傷つける可能性を持った暴力的な行為なのだ。

小説の中には、七森のその優しさを理解しない人たちも出てくる。高校の時の同級生たちと成人式のときに再会したとき、七森は彼らのノリが気持ち悪くてついていけなくなってしまう。それは「お前童貞なの?」とか「もしかしてゲイ?」みたいな軽口なのだが、七森にとってそれはもはや暴力なのだ。

それとは対照的に、七森的な優しさをきちんと理解してくれる人たちもいる。それは大学のぬいぐるみサークルのメンバーである。この物語はぬいぐるみサークルでの交流を中心に描かれる。ぬいぐるみサークルと言っても、ぬいぐるみを集めたり、作ったりするサークルではない(捨てられたぬいぐるみを拾うことはあるらしいが)。なんと、ぬいぐるみに話しかけるサークルなのである。七森は人と話すときの自らの意図せざる暴力性に怯えている。でも、ぬいぐるみに話しかければ、誰かを傷つける心配はない。そういう優しい人たちが集まるのがぬいぐるみサークルなのだ(七森はぬいぐるみとはしゃべらないのだが)。

この物語には、もう二人、主人公格の登場人物がいる。一人は、七森と仲の良い「ぬいサー」の同期の女子学生の麦戸ちゃんで、もう一人は、七森と同様ぬいぐるみとしゃべらない「ぬいサー」メンバーの白城だ。白城も七森と同期の女子大生だ。

麦戸ちゃんは、ある日を境に大学に来なくなってしまう。麦戸ちゃんも、ある出来事がきっかけで、この世界で誰かが傷ついていることに耐えられなくなってしまう。麦戸ちゃんもやさしいのだ。例えばこんな感じ。

麦戸ちゃんは七森をしんどくさせないために微笑もうとしたけれど、話し終えると、ことばに遅れて痛みがやってきて、涙が止まらなくなった。

それに対して、やさしい七森はこう思うのだ。

僕も同じだよ。麦戸ちゃんの気持ち、わかるよ。七森はそういいたい。でもいえない。同じじゃないから。僕は男で、やっぱり、恵まれているから、

麦戸ちゃんも七森も、やさしい。自分の言葉が相手を傷つけるかもしれないということを避けてしまう。だから、ちょっとよそよそしい感じもある。お互いがお互いを気遣いすぎてしまっている。それでも物語は進んでいく。やさしさがかれらを縛り付けながら。

さて、ここで紹介した文章は、パッとページを開いて目に留まったところをランダムに載せているだけだ。これでこの小説の雰囲気が伝わってくるだろう。胸の中の悶々とした思いが、明確に言語化されていく。読んでいる自分ももどかしい。登場人物のやさしさゆえに、「それは間違ってるよ」と言うわけにもいかず、余計に苦しくなっていく。でも、やさしいがゆえに安心して読んでいける。

僕は知らなかったのだが、こういう小説のことを「フェミニズム文学」というらしい。マジョリティである主人公が自分のマジョリティ性の暴力性に悩むという話なのであれば今後も読んでみたいと思った。